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 駅ナカの一種というのかはわからないが、駅直結、高架下の小さな商店。店の前にはカゴのまま商品がいくつも並べられていて、電車を降りた地元の人たちが買い物をしていた。イマドキだったらこういう場所の商業施設はだいたいコンビニになるところ、昔ながらのスーパーが営業しているのもなんとも昭和の薫り、である。

改札を抜けると「スリーマート」という昔ながらのスーパーがあった
西高島平駅前

なぜ「高島平」という地名になったのか?

 この西高島平駅がある高島平団地の入居が始まったのは1972年のこと。もともとは荒川の氾濫原で、江戸時代までは徳丸原と呼ばれる将軍家の遊猟地だった。幕末の1841年には、砲術家・高島秋帆(しゅうはん)がこの広い土地で洋式砲術の演習を行ったというエピソードがある。秋帆の弟子たち約100人が大砲や鉄砲を放ち、幕府の役人や大名、庶民まで見学に訪れたという。

駅からほどなくして荒川に着く

 荒川や新河岸川の整備が進んだ近代以降は民間に払い下げられて一帯は水田に。そんなエリアを人口が急増していた戦後の高度経済成長期に開発し、巨大団地群を建設したというわけだ。その際に、高島秋帆にちなんで高島平という地名が与えられている。

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 そして新たな団地へのアクセスのためにやってきたのが都営三田線。団地完成に先立つ1968年に志村駅(現・高島平駅)が開業。団地入居開始後の1976年に延伸して西高島平駅が開業している。つまるところ、西高島平は高島平団地とそれに引っ張られるようにして開発が進んだ西側の住宅地のために開業した駅なのである。団地完成から半世紀近くが過ぎて、最近では少子高齢化が課題になっているとか。駅の雰囲気がなんとなく昭和っぽいのは、そうした古い団地の駅というところから来ているのだろうか。