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「だよねー」「そやなー」25年前、日本ヒップホップ初100万枚「DA.YO.NE」ブームとは何だったのか?

「だよねー」「そやなー」25年前、日本ヒップホップ初100万枚「DA.YO.NE」ブームとは何だったのか?

博多華丸もサンド伊達の妻も熱唱していた方言バージョン

2020/06/21
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 まず、大阪弁バージョンであるWEST END×YUKIの「SO.YA.NA」が1995年2月に発売されたのに続き、4月には北海道弁による「DA.BE.SA」(NORTH END×AYUMI)、東北弁による「DA.CHA.NE」(NORTH EAST×MAI)、名古屋弁による「DA.GA.NE」(CHUBU END×SATOMI)、広島弁による「HO.JA.NE」(OYSTER END×YUKA ※YUKAの「U」は上に「‐」がつく)、博多弁による「SO.TA.I」(SOUTH END×YUKA)が一斉にリリースされた。これはEPICソニーが企画し、同レーベルを擁するソニーミュージックの各地方の営業所が制作したもの。きっかけは社内の酒の席で、「大阪だったら『だよね』じゃなくて『そやな』って言うんだろうな」という話になったことだった。ここからまず『SO.YA.NA』がつくられ、その出来がよかったので、さらに各地方へと企画が広がったという(※6)。

1995年2月にリリースされたWEST END×YUKIの「SO.YA.NA」。オリコンで週間6位に。「DA.YO.NE」ジャケット写真の顔部分に今田、東野、武内の顔写真を貼り付けた
「SO.YA.NA」シングルの裏面

博多華丸もサンド伊達の妻も熱唱していた

「SO.YA.NA」を歌うWEST ENDは当時全国区になりつつあった今田耕司と東野幸治、YUKIは大阪パフォーマンスドールのメンバーだった武内由紀子である。そのほかのバージョンも、各地で若者に人気のあったタレントなどがユニットを組んで収録された。北海道のNORTH END×AYUMIは、地元の劇団「OOPARTS」の鈴井貴之・伝野隆介・伊藤亜由美によるユニット。鈴井と伊藤はすでに事務所・CREATIVE OFFICE CUEを設立しており、やがて大泉洋らTEAM NACSの面々を売り出すことになる。東北のNORTH EAST×MAIは、当時、岩手めんこいテレビのアナウンサーだった横山義則と熊谷麻衣子、青森の弘前出身の“高橋君”によって組まれた。熊谷はのちにフリーに転じ、サンドウィッチマンの伊達みきおと結婚している。

 名古屋のCHUBU END×SATOMIは、CBCテレビの情報番組『ミックスパイください』に出演していた地元タレントの鉄崎幹人・戸井康成・原田さとみによって組まれた。ユニット名に地元名産の牡蠣を冠した広島のOYSTER END×YUKAは、元広島県職員でクラブDJの中村道生と、当時RCCラジオの番組の学生スタッフだった三浦優佳によるコンビ。さらに福岡のSOUTH END×YUKAは、福岡吉本の芸人・鶴屋華丸とおタコ・プー、地元出身ですでに東京で雑誌モデルとして活動していた板谷由夏がメンバーだった。鶴屋華丸は現在の博多華丸で、おタコ・プー(現在はおたこぷー)もその後プー&ムーというコンビで東京に進出している。板谷も現在、女優として活躍しているのは周知のとおり。

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博多弁バージョン「SO.TA.I」(SOUTH END×YUKA)に参加していた板谷由夏(2011年撮影) ©文藝春秋

 いわゆる方言萌えやゆるキャラ、B級グルメなど、後年、地方文化がさまざまな形で注目されていったことを思えば、この企画には先見の明も感じる。ヒップホップはそもそも地元意識の強い音楽だから、こうした展開はきわめて正当だろう。

 本家のEAST END×YURIは、その後1997年に市井由理がソロデビューアルバム『JOYHOLIC』をリリースしたのを機に実質的に活動を終了した。EAST END自体もしばらく活動休止を経て、2003年、一旦は脱退したROCK-Teeも含めオリジナルメンバー3人が再結集し、シングル「ココロエ」、アルバム『Beginning of the Endless』をリリースした。同アルバムには「DAYONE(デイワン)」という曲も収録され、そのタイトルや「残った人生の日の今日が最初の日」といったリリックからは、これまでのことを一度リセットして再スタートを切ろうという彼らの決意がうかがえる。