「相澤さん、毒盛る話はちょっと危険じゃないですか?」
今年3月15日、手記公表と提訴の3日前。私は週刊文春に載せる記事の原稿を赤木雅子さんに送り確認を求めました。そこでは、俊夫さんが亡くなった直後、自宅を訪れた近畿財務局職員との次のようなやり取りを紹介していました。
《雅子さんの目の前で「赤木を殺したのは朝日新聞や!」と叫んだ職員もいた(注・直前に朝日新聞が改ざんについて初めて報じた)。でも雅子さんは「殺したのは財務省でしょ」と冷ややかに見ていた。「財務局で働きませんか?」とも持ちかけられたという。雅子さんは「佐川さんの秘書にしてくれるならいいですよ。お茶に毒盛りますから」と答えた。痛烈な皮肉に相手は沈黙した。》
この部分について雅子さんからメッセージが届きました。
雅子さん 相澤さん、毒盛る話はちょっと危険じゃないですか? まだ消せますか? それ以外なにも問題なく夫も喜んでいると思います! たくさんの人が読んでくれたらいいですねー。
――もちろん消せます。毒盛る話、私は赤木さんのユーモアセンスが感じられて好きですけど。
雅子さん そうですか。笑えるならOKです。
――はい。ああいう状況でもユーモアを忘れない、強烈な皮肉に財務局沈黙、というのが本当に素晴らしいです。
雅子さん 相澤さんはお仕事で慣れておられるのでしょうが、私は初めてのことで、記事や写真がこんなに掲載されると思ってなかったのでビビッてます。足が震えます。
――いや、こんな大きな扱いは私も初めてです。
2回めのデートでプロポーズした赤木俊夫さん
雅子さんは地元・岡山県で薬局に勤めていた時、同僚の紹介で、近畿財務局の職員だった俊夫さんと出会います。会って2回目のデートでいきなり「結婚しよう」とプロポーズされ「はい、お願いします」と応じました。「即答でした」と笑顔で振り返ります。「とにかく大きな声でよく笑う人で明るくて。それに誠実そうだと思って」。
この時、雅子さん23歳、俊夫さん31歳。1994年(平成6年)12月のことでした。その翌年1月17日に阪神・淡路大震災が起きますが、二人はその年の6月18日に結婚。新婚生活を神戸で過ごします。その後、俊夫さんの転勤に伴って各地を渡り歩きますが、一番気に入った神戸に住まいを買って夫婦二人で暮らしていました。