これだけ史実を都合よく利用しておいて……
SNSをのぞくと、案の定、賛否両論が渦巻いている。
朝ドラの放送は、コロナ禍の影響で今月末より一時中断するけれども、その終わりがこれでいいのかという声まで見受けられる。というのも、「幽霊回」以降もスピンオフが続いていたからだ。
いや、それだけではない。本筋への批判も無視できないレベルで多い。
いわく、モデルとなった人物への敬意がない。いわく、主人公が必要以上に陰気で身勝手な人物として描写されている。いわく、シナリオがおちゃらけ過ぎている。いわく、空虚なコメディーのようになっている――。
正直、テレビドラマとしての出来について筆者は判断しかねる。継続的に朝ドラをみているわけではないし、そもそもテレビドラマ自体、リアルタイムでみるのは小学生以来だからだ。「テレビはこういうもの」と言われれば、返す言葉もない。
とはいえ、評伝の執筆者として、批判者の懸念もわからなくもない。
今回の朝ドラは、古関裕而をモデルとうたっているのみならず、側面支援的な関連番組も多い。ドラマ本篇も、かなりよく調べられていて、随所に、音楽史の研究者にしかわからないような、マニアックなネタが仕込まれている。使われる音楽の多くが古関本人のメロディーなのは言わずもがな。
これだけ史実を都合よく利用している以上、いかにフィクションと銘打っていても、朝ドラのストーリーを部分的にでも史実と受け取るひとが出てきてもおかしくない。
そのため、「もっと史実へ敬意を」との意見が出てくるのは当然だし、これにたいして「これはフィクションです」「現実と虚構を区別できていない」などと返すのも、いささか杓子定規だろう。