試金石になるのが、戦時下の描き方
そこで試金石になるのが、やはりこのあとの戦時下の部分だ。なぜならば、多くのひとが指摘しているように、この部分こそ、古関裕而のドラマ化の最大のポイントだからである。
古関は、戦時下に数多くの軍歌を作曲した。そのなかには、「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」のような大ヒット曲も含まれる。これらはどうしても触れざるをえないだろう。
とはいえ、朝ドラで延々と戦争の暗い話をできないこともよくわかる。では、どうするか。そこがシナリオの腕の見せどころなのだ。「戦争責任」云々ではなく、ドラマへの関心からだけでも、ここに注目するのは当然なのである。
現在のところ、戦争関係の描写はほとんど削られている。それが、一気に転換できるのかどうか、予断を許さない。
軍歌は「民衆に寄り添った」「応援歌」?
また、たんに有名な曲を流せばいいというわけではない。それをどのように扱うかが重要なのだ。
その点、よくいわれる「民衆に寄り添った」「応援歌」という説明は、やや危なっかしい。それは現在に引きつけるとよくわかる。
というのも、昨今の出版業界では「嫌韓嫌中」本や「日本スゴイ」本が一時活況を呈したが、それらも同じように、「民衆(の俗情)に寄り添った」や「(日本が経済大国だった時代を懐かしむ世代への)応援」などと肯定されかねないからである。
軍歌の扱いは、こととばあいによっては、かえってセンシティブにもなりうる。やはり軍歌は軍歌として正面から扱うべきだろう。
ちなみに、「露営の歌」(藪内喜一郎作詞)には、こんな一節がある。
夢に出て来た 父上に
死んで還れと 励まされ
さめて睨(にら)むは 敵の空
戦地の兵隊が、夢で父に「死んで還れ」と励まされたという内容だ。
さきに述べた「幽霊回」では、父が死んで(夢ではなく現実に)帰ってきた。そんな「突飛」なことまでやったのに、よもや、このような内容の軍歌を無視するわけにはいくまい。
朝ドラの再開後には、ここに大いに注目したい。