先日、最終回を迎えた俳優・松尾諭さんによる“自伝風”エッセイ『拾われた男』。この度、書籍化されることになりました。第1回と第2回を特別に公開いたします。
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兵庫県尼崎(あまがさき)市の中の下、もしくは下の上あたりの家庭で生まれ育った少年の将来の夢はタクシー運転手だった。自由に車を流して客を拾い、楽しげに世間話をしながら目的地まで送り、会計の際には数千円の大金をせしめて、札束がごっそりと詰まった手提金庫にその金を納める。そしてまた自由気ままに街を流し、気分が乗らなければ乗車拒否をし、眠たくなれば車を停めて眠り、腹が減れば買い食いをし、好きな時に休憩して煙草を吸う。この世界にこれほど素晴らしい仕事は他にない、と本気で考えていたが、友人から現実を教えられ、またひとつ大人になったはいいが将来の展望もないままに迎えた十七歳の秋。高校の文化鑑賞行事として観た演劇が転機だった。生まれて初めて観る生の芝居は素直に面白かった。ただし内容は憶えていない。だがカーテンコールで全校生徒からスタンディングオベーションを浴びる役者たちの、輝かんばかりの笑顔を見た時の衝撃は今でも忘れない。まさにビビッときた。
「あれやりたい」
とはいうもののどうすれば良いかもわからず、どこで聞いたか役者は食えない仕事という予備知識だけはあったので、大学だけは出といた方が潰しが利くだろうと、一浪して大学に入学、したは良いものの遊びすぎなどの諸事情により、三年間の総取得単位は十八と、足りない頭と家計をいくら捻っても、卒業まで費やす時間と学費が馬鹿にならないことに気づき中退。そして充実したフリーター・ライフを満喫。これでいいのかと思いはじめた二十三歳の秋、とある食事会、つまり合コンに来ていた年上のお姉さんが、関西を代表する某劇団の事務をしているとかなんとかで、恥ずかしくてあまり人に打ち明けたこともなかったけれど、アルコールと下心も手伝って、役者になるにはどうすればいいかを相談すると、彼女は即答した。
「東京行き。大阪でやってても芽出えへんし、東京にはいくらでもチャンスが転がってんで」
人生でほぼ初めて出会った業界人の言葉をあっさり信じ、二〇〇〇年の一月に上京した。大半の劇団のオーディションは二月に集中しており、まずは超有名劇団から電話したものの、ここで躓(つまず)く。オーディションを受けるためには願書なるものを事前に提出せねばならず、どの劇団もその締切を十二月末までとしていた。読み返してみると、専門誌にはその旨がしっかりと記されていた。まさに一生の不覚、もしくは必然だったのかもしれない。