毎年多くの観光客が訪れる、犬山城。人気の理由のひとつは、江戸時代から残るフォトジェニックな国宝天守です。天守は高さ約19メートル、天守台も含めると約24メートルとさほど高くはありませんが、木曽川南岸にある標高80メートルの断崖上に立つ姿は、凛としたかっこよさがあります。
犬山城は、断崖のもっとも高いところに本丸を置き、杉の丸、樅(もみ)の丸、桐の丸、松の丸と曲輪(平坦地)が階段状に並ぶ構造です。天守は本丸の奥まった場所に立ち、搦手(裏手)が木曽川に続いています。木曽川沿いの断崖上に築かれているのは、天守最上階からの絶景を楽しむためではなく、こうすることで木曽川が城の背後を守ってくれるからなのです。
この地は美濃(岐阜県)と尾張(愛知県)の国境にあたり、木曽川の対岸は美濃です。犬山城は、天文6(1537)年に織田信長の叔父・織田信康が築城。中山道と木曽街道にも通じることから交易・政治・経済の要衝として栄え、その交通の利便性から戦国時代には何度も激戦が繰り広げられました。豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄が衝突した小牧・長久手の戦いの舞台にもなった城でもあります。
「白帝城」と謳われた名城
天守のおすすめの撮影スポットは、2つ。ひとつは、犬山遊園駅北側の犬山橋からのアングルです。西向きなので、夕景ならベストスポット。満月と天守をセットで撮影することもできます。もうひとつは、木曽川の対岸。ライン大橋を渡り、犬山城を右手に木曽川沿いを歩くと、いくつかの撮影スポットを発見できます。
ちなみに、犬山城が別名「白帝城」と呼ばれるのは、江戸時代の儒学者・荻生徂徠が、中国の白帝城(重慶市)にちなみ名付けたためです。木曽川沿いに建つ犬山城が、長江を臨んで建つ風光明媚な白帝城を連想させるとして命名したとされます。白帝城は揚子江三峡のひとつに数えられ、「三国志」や李白の漢詩でも知られる名所。荻生徂徠の目にも、犬山城はそれほど美しく見えたのでしょう。