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 それに、当時はネットの普及により、「私たちは優秀な民族だ」とする根拠に乏しい歴史観が急激に広がっていました。2002年ワールドカップでのベスト・フォー進出は、韓国人は優秀だとする社会観の、ある種の論拠であり、象徴だったわけです。サッカーとは関係ない、と言ってしまえばそれまでですが、韓国人が主張する「優秀さ」は全般的なものではなく、いくつかの「点(ポイント)」によるものだったりします。例えば、「キム・ヨナ選手が韓国人の優秀さを証明したから、もうフィギュアスケートはどうでもいい」という流れになります。

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韓国社会の「甲乙横暴の文化」

 いずれにせよ、最近は「これだから韓国人は~」という類の批判をすると、「日本は韓民族の気概を恐れている」「韓民族に対する悪口は日本が広げたデマ」などのとんでもない歴史観を盲信する人たちから、「韓民族の優秀さを歪曲するための主張だ。こいつはきっと日本人だ」と袋叩きにされる流れになりがちです。最近は、「土着倭寇(韓国に住み着いた日本人)」という蔑称が流行っています。

 そんな中、あまり大手でないところ、例えばローカルメディアから、興味深い韓国社会への問題提起、及びその考察が手に入ることが増えました。

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 ここで紹介するのもその一つで、2018年5月30日、『大田トゥデイ』というローカル紙に載っている、慶熙大学社会学部ソン・ジェリョン教授の寄稿文からの引用となります。

韓国人が権威・序列に執着する理由と背景

<(※韓国の「上の人が下の人を苦しめる文化」のルーツを、急激で受動的な韓国社会の資本主義化から探ろうとする人たちもいる、という話の後に)……しかし、歴史的に、韓国の甲乙(カブル文化、上の人が下の人を苦しめる文化の根は、それよりもはるかに深い。長く書くこともできそうにないが、何よりも、その根は儒教の「等級付け」的な倫理規範に基づいた、形式主義・位階権威主義の文化にあると言える……。

 ……「文化」として定着した社会の流れ、社会の傾向は、社会に深く浸透し、非常に強く作用するため、いくら経済が発展しても、制度的に民主化が行われたとしても、その傾向と、社会がその傾向に依存しようとする力は、弱くなったりしない。この文化的傾向は、今日の私たち韓国人が、なぜこれほどまでに権威と権力、すなわち力の優劣と序列、及びそれに関連する文化的資本の獲得に強迫的に執着しているのか、その理由と背景を、教えてくれる。