韓国社会は「侮蔑感の社会」?
韓国学の研究者チェ・ボンヨンは、このような差別・位階文化の土台から、世界的に見てもユニークな尊・卑の言語システムが、韓国社会で発展したと言う。私たちはいつも、「尊待」か、「下待」かの、二択だけの極端な選択を強要されており、誰もが、尊待されるため、命をかけて、権力、出世、学歴、権威にぶら下がるというのだ。よって、私たちは、他人を自分と「同等」な人格として見ない傾向に慣れている。
知らず知らずに、私たちは、自分自身を、自分より地位が低い他人と区別することによって、私は他人よりも優れていると示そうとする。差別の誇示を通じて、等級分けを作ろうとするのだ。すなわち、位階的に優れた「私」を証明し、それを堅持するために、地位の低い人たちを無視し、見下し、罵り、低俗な言葉を吐き出すのだ。
社会学者キム・チャンホは、無視と軽蔑と嘲笑の文化が、韓国人の日常を支配しているという点で、韓国社会を「侮蔑感の社会」と規定する。
侮蔑感をやりとりしながら生きていく
この侮蔑感の社会では、自分自身が侮蔑されないためには、誰かを侮蔑しなければならないという、自己矛盾、言うならば「侮蔑の政治学」が日常的に動き出す。どんな組織や集団でも、人の集まりである限り、軽重の差はあるものの、その侮蔑感をやり取りしながら生きて行くということだ。
上の立場の人が下の立場の人を苦しめる甲乙の横暴は、このような韓国社会の位階・差別文化の集合的傾向性を反映して表われたものだ。韓国人なら誰もが、韓国社会の文化的傾向の力から自由にはなれない。しかし、社会の文化的傾向が容易に変わらないという点で、私たちの社会の「甲乙横暴の文化」もまた、そう簡単に消えるものではないという点を、知らなくてはならない。それは、制度を変えれば無くなるようなものではないのだ……>
韓国社会の上下関係へのこだわりは、ちゃんと理解するのが難しいし、理解出来たら出来たで人間としての何かが壊れてしまいそうな気もします。