韓国語は日本語と同様に、「敬語」の表現が発達している言語だといわれる。日本語で敬語といえば話しかける相手への敬意をあらわすための表現だが、韓国語の場合は事情が違うという。韓国語が持つ「尊待」「下待」「平待」という3つの敬語システムは、自分と相手との「上下関係」を端的に表現するためのものだ。

 敬意を表すという点では違いが無いように思えるが、両者の間には大きな隔たりがあるという。韓国に生まれた生粋の韓国人の目から、韓国と日本の文化を比較し続ける著作家・シンシアリー。その著書『「高文脈文化」日本の行間~韓国人による日韓比較論~』(扶桑社)より、一部を引用する。

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韓国の「敬語システム」に何が起きているのか

※写真はイメージです ©iStock.com

 本章でまず紹介したいのは、日本語と韓国語の差、韓国語ではうまく表せない日本語の特徴、特に「敬」に関する話です。

 韓国語も敬語が凄く発達した言語です。でも、他人に敬を伝えるために存在したはずの敬語システムが、いまでは、多くの人々を傷つけるようになりました。

 敬の話は、本書冒頭の「神」の話に繫がります。なぜ日本は、これだけ多くの神様が人と一緒に暮らしているのか。なぜ日本には神々が宿り、神国と呼ばれるようになったのか。

 それは、人が「敬」において噓をつかないからです。ご存じですか。「神に敬を示します」としながら人への敬を示さない人は、噓つきです。物を大事に出来ない人は、人を大事に出来ません。人を大事にできない人は、神を大事に出来ません。神は、そんな人たちと一緒に住むことを望みません。噓つきと一緒に住みたいと思う人はいないでしょう。だから、神様もそうは思いません。

 神と人間の関係は、そこまでかけ離れたものではありません。善悪で二分されていない日本の神様は、特にそうです。人間もまた、同じように二元論的に分けられる存在ではないからです。

 さあ、それでは、最近の韓国語の敬語システムに、何が起きているのか。そんな話に移りましょう。

「尊待」「下待する」「平待」

 私が、「韓国では、敬語をちゃんと使わない人が多くて社会問題になっている」と言うと、読者の皆さんは、どう思われますか。皆さんの中には、「えっ? 韓国って敬語いっぱいあるでしょう?」「この前、韓国に行ってきたけど、普通に韓国人も敬語使ってましたよ?」と驚かれる方もいることでしょう。ビジネスなどの理由で韓国人と結構頻繁に話している方なら、韓流ドラマのファン・元ファンの方なら、特にそうでしょう。

 でも、これは本章だけでなく本書を通しての、ちょっとした「著者からのお願い(ハートマーク付き)」といったところですが、「ちゃんと使わない」からといって、「韓国語に敬語が無い」「韓国人は敬語をまったく使わない」という意味ではありません。普通にあるし、使うときは使います。仮にも儒教思想を信奉している韓国に、敬語がまったく無いはずがありません。

 ここで社会問題というのは、日本で言う一般的な敬語関連の常識とはかけ離れた形で、敬語システムそのものが歪みつつあり、個人的にはどう考えても悪い方向に向かっている、いわば「崩壊しつつある」、という意味です。