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「さんまは面白くなくなった」35歳の“曲がり角”(1990~91年)

 さんまは1988年、33歳にしてかねてより交際していた女優の大竹しのぶと結婚する。じつは、サッカー好きの彼はワールドカップの前に結婚して、新婚旅行で見に行くのが夢だった。35歳になる1990年にはイタリアでW杯が開催される予定で、本来ならこの年に結婚していたはずだったという。それが2年早まったのは、大竹に亡き前夫との息子がおり、結婚するなら息子が小さければ小さいほうがいいと思ったからだ(※3)。たしかに子供も幼いうちのほうが母の再婚相手となるさんまにも懐きやすいだろう。結婚の翌年、1989年には大竹とのあいだに娘のIMALUも生まれた。結局、新婚旅行とはならなかったが、イタリアW杯には夫婦で見に行っている。35歳の誕生日の前日、1990年6月30日には、ローマでイタリア対アイルランド戦を観戦した(※4)。

1988年、33歳で大竹しのぶと結婚。翌年娘のIMALUが生まれる ©文藝春秋

 いま振り返ると、お笑いタレントのさんまにとって、35歳前後のこの時期は大きな曲がり角だったといえる。前年の1989年10月には『ひょうきん族』が終了、これを機に子育てに専念するため仕事をセーブするようになり、テレビのレギュラーは『笑っていいとも!』『さんまのまんま』『あっぱれさんま大先生』の3本に絞られ、ゴールデンタイムの番組はなくなった。松田聖子や沢口靖子と共演した映画『どっちもどっち』の製作発表では、プライベートに関する質問への回答を拒否し、報道陣の不評を買う。バラエティ番組でも、大竹をネタにすると本人に怒られるので、おのずと話題にしないようになった。ここからさんまは毒気を失い、面白くなくなったとの評判が強まる。各種の人気タレントランキングでも、それまで数年連続で1位だったのが軒並み転落した。家庭での幸福が必ずしも仕事でのそれにつながらないあたり、お笑いという商売の因果なところだろう。

1990年イタリアW杯。35歳の誕生日の前日、6月30日にローマでイタリア対アイルランド戦を観戦 ©文藝春秋

5億円の借金「死ぬか、しゃべるか」

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 子煩悩で、すっかりマイホームパパのイメージがついたさんまは、35歳最後の日、1991年6月30日にはマンションから都内に新築した一戸建てに転居する。9億円とも10億円ともいわれた豪邸だが、実際には8億5000万円で購入したという。しかしそれから1年あまりで大竹と離婚、家は売りに出される。バブル崩壊直後とあってなかなか買い手がつかず、結局、3億5000万円で売却され、5億円もの借金が残った。その返済のため、さんまは引き受けられるだけの仕事をこなす道を選ぶ。のちにテレビ番組で当時の心境を振り返って、《5億(円)って借金すると諦められるねん》、《金額が大きすぎて、もう『死ぬ』か『しゃべる』か。すごい楽だった》と語っている(※5)。ただ、完済するまでの数年間には、声が出なくなる夢を何度も見たという。そんなふうに瀬戸際に追い込まれながらも、そこから脱却すべくさんまは再び多くのレギュラー番組を持つようになり、人気を挽回していく。