きょう7月1日は明石家さんまの誕生日である。1955年生まれの彼は、今年で65歳を迎えた。5年ほど前、還暦を迎える前後には引退説もささやかれたが、いまも変わらず第一線で活躍し、“お笑い怪獣”ぶりは健在だ。高校卒業後、上方落語の笑福亭松之助に入門したのが1974年。ここでは、今年で芸歴46年目に入ったさんまの歩みを、25歳から10年おきに振り返ってみたい。

7月1日に65歳の誕生日を迎えた明石家さんま(写真は1985年撮影) ©文藝春秋

「ええ女と寝たい」25歳のさんまが語ったこと(1980~81年)

 さんまが25歳になったのは1980年、ブレイク直前というなかでだった。すでに関西ではMBSテレビの若者向け番組『ヤングおー!おー!』、同局のラジオ番組『ヤングタウン』(『ヤンタン』)に出演し、女子中高生からアイドル的人気を集めていた。拠点はまだ大阪だったが、東京でも前年10月よりニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』第2部のパーソナリティーを務め、この年の10月からは堺正章主演のドラマ『天皇の料理番』に出演するなど、その名は徐々に全国区になりつつあった。彼が芸能界に入ったときに立てた目標は、『ヤングおー!おー!』『ヤンタン』『オールナイトニッポン』への出演と、堺正章と大原麗子との共演だったというから、25歳にしてそれをほぼ達成したことになる。

 1980年には旬の人物にスポットを当てるフジテレビの『スター千一夜』にも登場、1週間密着取材を受け、ファンに追われる様子を撮ろうとしたものの、なぜかあまり人が集まらなかった。スタッフには「いつもは人、集まるんですけど」と言い訳したとか(※1)。このときディレクターを務めた三宅恵介とは、翌1981年にスタートした『オレたちひょうきん族』で再び一緒になる。この『ひょうきん族』で、ビートたけし演じるタケちゃんマンの敵役・ブラックデビルに扮したのを機にさんまはブレイクを果たす。それにともない拠点も東京へと移した。

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『笑っていいとも!』には1984年から出演(~95年)。金曜日レギュラーだった

 このころ、芸能レポーターの梨元勝との対談で芸能界に入った動機を訊かれたさんまは、《いやァ、ぼくはね、ええ女が欲しいからね、この商売に入ったんですよ。別に、金とか名誉やなしに、ええ女と寝たいがために、ね(笑)》と答えている(※2)。ハングリー精神のかけらも見せないところが、当時の芸人としては新しかったのではないか。同じ対談では、芸能人とは絶対に結婚しないと言っていた彼だが、それは8年後に翻されることになる。