大学在学中から音楽活動をはじめた多摩美術大の荒井由実(当時)、慶應義塾大の竹内まりや。近年では関西大の矢井田瞳、立命館大の倉木麻衣、上智大のクリスタル ケイ、青山テルマらも同じ道を歩んだ。
教育ジャーナリストの小林哲夫さんが上梓した『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)から、多忙な彼女たちがどのようにミュージシャンとして活躍していったのか、その一端を紹介する。(全2回の2回目/#1から続く)
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「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルトアワー」で80万枚
女子学生でありながらミュージシャンとして活躍する姿は、その女子学生と同世代にとって誇るべきことであり、嬉しいものだ。
ミュージシャンに女子学生が登場するのは、1960年代に入ってからだろう。
東京大の加藤登紀子は1965年東京大在学中、日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝して、翌年には「誰も誰も知らない」でデビューを飾っている。
1972年、キャンディーズが結成された。メンバーの伊藤蘭は、73年に日本大に入学するが、「女子大生歌手」と騒がれることがあまりなかった。
1970年代に入ると、フォーク、ニューミュージックと呼ばれる分野で女子学生が華々しい活躍を見せる。多摩美術大の荒井由実は1972年にデビューし、「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルトアワー」を発売し合わせて80万枚が売れ、一女子学生ながら、「ニューミュージックの女王」と呼ばれる。『週刊現代』(――1976年2月5日号)がこんな見出し、リードを付けて伝えている。
「注目の女子大生歌手 布施明よりすごい女のコ 75年レコード売り上げNo.1は『シクラメンのかほり』の布施明でも、演歌じゃ日本一の北島三郎でもない。二十二歳の女子大生歌手だった。若者風俗そのままのやさしさが井上陽水を追い抜いた――われわれは無関心ではいられない」
荒井が同誌のインタビューにこう答えている。
「音楽は趣味でやっているんです。プロ意識なんかないわ。喰うためにやったらいい音楽なんかできません。音楽で金を稼ごうなんて考えていないの。今は軌道に乗ってお金が入ってきますけど」
慶應義塾大の竹内まりやがデビュー
荒井由実の登場から少し遅れて、1978年、慶應義塾大の竹内まりやがデビューしている。1979年のシングル「SEPTEMBER」で日本レコード大賞新人賞を獲得した。
「SEPTEMBER」のコーラスアレンジの1人に東京女子体育大の宮川榮子がいた。彼女は、1980年、EPOとして「DOWN TOWN」でデビューする。フジテレビ『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマとして、だれもが口ずさむほど売れた。EPOはこんな話をしている。「嫁入り道具のひとつとして普通の大学に行きたくなかったので体育大学を選んだの」——『週刊現代』1981年10月8日号