「もっと将棋を指していたかった」という単純な思い
――悔しさというキーワードで括れば、藤井七段が小学2年の時、谷川九段との指導対局の途中に終了時間が来てしまい、引き分けを提案すると突っ伏して泣いてしまったという逸話もあります。
「2枚落ち(上位者が飛車と角を抜いた状態で指し始めるハンディキャップ)でこちらが優勢になったのですが、彼の場合、負けて悔しい気持ちと、もっと将棋を指していたかったという単純な思いがあったのではないかと思います。泣いてしまってどうしようもなくなってしまったので、師匠の杉本(昌隆七段)さんにお任せしちゃいましたけど(笑)」
攻めの感覚を感じさせる、中学1年生
谷川相手に「どうしようもなくなる」ほどに泣いてしまうというのは、生来からの将棋への情熱を感じるエピソードではないだろうか。その谷川の攻めは「光速の寄せ」と評されるが、この攻めの感覚を中学1年生の藤井から感じたと述べているのが、三枚堂達也七段である。
「そこで将棋を指して、話をしたんです。中学1年とは思えなかった。ほんとに今みたいな感じで、落ち着いているんですね。精神年齢が高いというか、大人っぽい(笑)。いい意味でそうでした。やんちゃな部分が見えなかった。でも将棋をやっているときはすごく楽しそうにするので、そういった部分も結構印象に残っています」
「詰みに向かう一歩手前のところ、そこを読み切るスピードがちょっと違うなと思いました。それこそ谷川浩司先生のような感じでしょうか」
藤井は、小学校4年生のときに杉本昌隆門下となり、中学1年生のとき史上最年少で三段になった。このときプロ2年目だった三枚堂は、群馬県にある三浦弘行九段の自宅で行われた研究会で、師匠の杉本に連れられてやってきた藤井少年と初めて言葉を交わし、このように感じたという。このことばから、今の落ち着いた雰囲気は、中学1年のときには備わっていたことがわかる。
「やばい一番になる」と思わせた、奨励会時代
藤井がプロとなったのは、2016年9月のこと。この年の奨励会三段リーグ戦の最終局で勝利して、プロ入りを決めたのだが、その最終局の対戦相手となったのが、西山朋佳三段(現在女流三冠)である。西山は、藤井と同じくこのときから奨励会三段リーグに参加している。
「私が入ったときは藤井(聡太現七段)三段がいて。彼は上がるオーラが全開で、有力な昇段候補のひとりだと見ていました。そして、リーグ表を確認したら、最終戦が藤井三段。『これは絶対にやばい一番になるな』と思いましたもん」
「実は、それまで藤井先生とは私の2勝0敗なんです。かなり前、関西奨励会のときに香落ちと平手で指しています。だから、周りに『相性がいいから』と豪語していたんですけど……。最終戦はボロ負けになってしまって。彼はおそらくソフトも取り入れていて、早指しでバンバンこられたんですよ。いままでの将棋と全然違って、成長スピードが速すぎました」