これまでに何度も「再ブレイク」と言われてきた、ピン芸人・小島よしおさん。2007年には、高い身体能力を活かしたリズムネタ「そんなの関係ねぇ!」で一世を風靡した。仕事が少しずつ減っていくと「一発屋」と揶揄されて迷走した時期もあったが、試行錯誤の末、子ども向けライブなどを精力的に行い、着実にファン層を広げている。東京メトロによる「オフピークプロジェクト」で、「揉みくちゃにされて、毎日大変でした」と語る小島さんが、無理しすぎないで活躍できる場所を見つけるまでの軌跡を聞いた。(全2回の2回目/#1から続く)
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「素人とは違う」変なプロ意識
――小島さんは1980年生まれ。早稲田大学教育学部在学中に、お笑いサークル「WAGE」の一員として活動していたんですよね。深夜番組で「WAGE」のコント、よく見てました。
小島 それはけっこうなお笑い好きですね。WAGEに入ってお笑いの大会に出たら、芸能事務所にスカウトされたんです。5人組のグループで深夜番組にも出ていました。そのせいもあってか、学生の頃から「素人とは違う」みたいな変なプロ意識もあった気がします。授業中は割と静かにしていて。
そういえば、ちょうど広末涼子さんが前の年に同じ学部に入学していて、授業が一緒になったこともありました。
早稲田で広末涼子に話しかけた日
――広末さんの早稲田大学入学と中退をめぐって大きなニュースになりましたよね。マスコミや野次馬が集まって大騒ぎされている状況ではなかったんですか?
小島 僕が入学した頃には、広末さんは普通に学生生活を送っていたと思います。まったくお近づきにはなれませんでしたけど、一度だけ隣に座って、広末さんのことを知らない体で「お名前、何ていうんですか?」みたいな感じで話しかけたことがあるんですよ。WAGEのコントライブのチラシを渡しました。一応受け取ってくれたんですけど、ライブに来たことはないんじゃないですかね……。
――アハハ。本格的に芸能活動を始めてから、広末さんに会ったことはありますか?
小島 それがないんですよ。ドラマの記者会見をインタビュアーとしてレポートする仕事があったんですけど、他のメディアも大勢来ているのに、なぜか僕が行くと広末さんだけいないという。その頃の僕は裸でグイグイ行っていたので、話が通じる奴じゃないと思われて、周りの大人たちがうまいこと遠ざけていたのかもしれないですね。ソーシャルディスタンスを先取りしてました(笑)。