真面目な性格で、意識して“狂人”に
――切ないですね……。デビューから1年ほどで「そんなの関係ねぇ!」が大ヒットした2007年頃のことは、どんな風に記憶していますか?
小島 寝坊癖のせいで単位が取れず大学は2留しているんですけど、WAGEの仕事がだんだんと減っていき、事務所もクビになって、方向性の違いからグループも解散。大学卒業のタイミングですべてを失ったんですよね。卒業しても先行きが見えず、しんどかった。
知り合いのツテでサンミュージックに所属して、ピン芸人になってから「そんなの関係ねぇ!」のネタをやりだした頃、テレビのオーディションにも受かるようになりました。それがブレイクにつながってからは、本当に忙しかったです。あの頃は「狂人になろう」と思って、かなり異常な生活を送っていた。自分で言うのも恥ずかしいんですけど、もともと真面目な性格なので意識して狂人にならないと自分を変えられないと思っていたんです。たとえば、先輩の誘いは絶対に断らず、無茶ぶりにも全部対応する……みたいな毎日です。生活を変えるために家賃6万円の笹塚から、23万円の富ヶ谷に引っ越したり、芸能人がたくさん住んでいる中目黒に引っ越したりして、なかなか落ち着きませんでしたね。
「一発屋」「すぐ消える」に抗う日々
――狂人時代は、なかなかハードそうな日々ですね。
小島 ピーク時は仕事が詰め込まれていて、仕事が終わっても先輩に誘われたら必ず飲み会に顔を出して、ヘトヘトになって1日が終わる。ひとりになる時間も少なかったし、とにかく余裕がありませんでした。仕事もたくさんあって「そんなの関係ねぇ!」の着ボイスも売れて。
――最高年収ってどれくらいだったか聞いてもいいでしょうか。
小島 年収ってあんまりわかんないんですけど、月収の最高額が1200万円でした。
――ものすごいですね。
小島 今思えば、テレビの収録中も「笑いをとらなきゃ」ということに躍起になって、周りが全然見えていませんでした。自分さえ目立てればいい、という意識で仕事をしていたので空回ってばかりです。ブレイクしている時期でさえも「すぐに消える芸人」とか「一発屋」とか言われてしまって、その言葉に抗うためだけに頑張っていたような気がします。