1ページ目から読む
3/4ページ目

現在まで受け継がれる博奕によるシノギ

 いまも博徒系組織は多いが、賭場は厳しい摘発を受け、古典的スタイルの盆中はほぼ壊滅した。野球賭博になったり、バカラハウスに変化したが、規模はずいぶん縮小しているだろう。今のミナミはオンラインカジノが全盛である。昭和40年代、賭場の摘発が非現行となるまでが博徒の全盛期だった。大きな都市や温泉街には常設の盆中があって、それらは常盆と呼ばれていた。

ゲームとしての手本引きは1から6まである札をくくり、胴師が選んだ1枚を当てる単純なものだが、どの札を出すかは心理戦であり、札や金の置き方によって配当が複雑に変化する。 ©鈴木智彦

 常盆に対し、客を手配して行う大きな博奕を“オオガイ”という。由来や表記がはっきりしないのでカタカナで書くしかない。祭りや興行にも、オオガイがつきものだった。相撲の巡業などがあると、その前日、花興行と呼ばれるオオガイが公然と行われていた。

東映ヤクザ映画の世界

 この日、私が潜入したのもオオガイで、客たちは古参の親分ばかりだった。顔見知りも数人いた。「なんでここにいるんだ?」

ADVERTISEMENT

「見学させてもらえることになりまして」

「そうか。ガサがあったら一言も口をきくな。世間話もいかん。お前みたいな素人を引っかけるのは簡単だからな」

 この脅しは冗談ではなかったろう。

 警察にとってオオガイの摘発は点数も評価も高い。常盆は明らかな常設賭博でタチが悪いはずだが、客が自分の意志で勝手にやってくると解釈されるため、そう悪質ではないと判断されるのだ。あちこち声を掛け、わざわざ賭客を集めて行う博奕は、なんともけしからん組織犯罪というわけである。実際、有名人を一網打尽に出来る上、裁判で争うこともなく、確実に刑務所に送れる。

©iStock.com

 実利的かつ、日本的なロジックによって、ある意味、オオガイは覚せい剤取引以上のタブーとされる。また、非合法収益にも税金が掛けられるようになったため、盆中が摘発されると巨額の追徴金が課せられる。博徒の取材は摘発に直結するため、かなり神経を使わねばならない。博徒小説の第一人者だった青山光二でさえ、盆中に潜入したさい、「いったいどこか分からない場所に案内された」と、とぼけた。取り締まりが緩い時代でもそうなのだから、いまはもっとデリケートである。

 客の証言で2年以上も前のオオガイが検挙された例もあって、こうして書けるのは時効を過ぎ、主催者だった親分が死んだからだ。