新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――。暴力団のシノギの一つである「博奕」について、著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。

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マジシャンのような胴師

 胴師は団塊の世代だろう年齢で、ロマンスグレーの紳士だった。暴力団員にはとてもみえない雰囲気で、マジシャンのように華麗な動作で札を扱っていた。合力もまた見事で訓練された軍人を思わせた。裏社会に残る日本の伝統文化を目の当たりにして、私はすっかりのぼせ上がった。

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 手本引きのペースは独特だった。

 勝負のあと、胴師はカルタを客の前に披露し、一から六まで順番に並んでいることを証明した。たとえ「三」を出したときでも、札の順番は「三」「四」「五」「六」「一」「二」と並んでいなければならない。これが崩れていると、“綱切れ”となり、チョンボとされるため、客に総付けしなければならない。新しい勝負の際は、「一」からはじまる順列に戻さねばならず、それを客たちに確認させるのだ。

京都五条楽園にあった製造卸販売業者「松井天狗堂」は 2010年に店じまいをした 。 これは店主から譲り受けた裁断前の本引き用豆札で、機械を使わず手刷りしたもの。 同じくかるた作りからスタートした任天堂の旧社屋もすぐそばにあり、創業者とは昵懇だったという。任天堂はいまでも「運を天に任せる」という博打の哲学をそのまま社名にしている ©鈴木智彦

 揃えた札をみせた後、胴師がゆっくり手を後ろに回す。

 このときもやり方は二つあって、関東では大抵、胸の前でくくったという。その反対に関西は後ろ手が定番だ。後ろに回した札は、いったん、シックチで割る。つまりちょうど半分「一」「二」「三」と「四」「五」「六」で分ける。そこから1枚引いたら「五」で、もう一度引いたら「六」がくる。シックチで割ったあと、もう一回同じ動作を繰り返せば、また目は「一」に戻る。その動作を均等な時間で行い、思った通りの目を出すのである。時間に差があると目を読まれてしまう。一度もくくらず短時間でカミシタ(代紋が入った日本手ぬぐい)にいれれば、誰にでもピン(一)だと分かるだろう。そのためピンを出すときには札を何回かくくり、一定の時間を費やしてから札をピンに戻す。張り手に読まれないようランダムに行うがどうしてもクセがあって、このクセを傷と呼ぶ。傷が見破られれば勝負は一巻の終わりだ。

漁師には博奕上手が多かった

 家の電話番号、自分の生年月日などを順番に引いたり、数字の好みがある胴師もいるという。いろいろな要素を考慮し、胴師の様子を参考にして、側は目を予想する。かつて関西では淡路や明石の漁師に博奕上手が多いと言われた。羅針盤やレーダーのない時代、雲の揺れ、山の影だけを見て自分の位置を正確に把握する漁師は、傷を見つけるのが誰よりも上手かったのである。