迫りくる水の恐怖 千寿園に「あの人が入っとるよ」
千寿園に通じる道路は膝丈くらいまでの高さの泥で埋まっていて、無数の流木で道がふさがれていました。建物の前まで来ましたが、玄関まで簡単にたどり着けません。千寿園にはもう誰も残っていないようでした。心肺停止者は搬送され、入所者は避難した後でした。
施設の2階は会議室なのですが、約3メートルの高さまで浸水した土砂の痕跡が残っていました。泥のにおいが鼻を突きます。増水の速さを考えると、1階にいたらもう厳しかったのではないか、という様子でした。翌日、別の記者が1階の様子を確認したところ、ベッド、テーブル、衛生用品などが散乱してめちゃくちゃな状態で、ガス漏れの異常を知らせる警告音だけが鳴り響いていたそうです。
義理の祖母が入所しているという方から話を聞きました。千寿園では毎年8月、子どもが参加できる夏祭りを開催しているそうです。施設の方がカレーをふるまったり、隣接する渡小学校の運動会には入所者である車椅子の方々が応援に来て、手を叩いて喜んでいたり……そういう交流もあって、地元の方も「あの人が入っとるよ」と分かるくらい、地域に開かれた施設だったといいます。球磨村職員の方のなかには千寿園に入所する祖父の安否が分からないまま、被災者支援に取り組んでいた人もいました。
今回の令和2年7月豪雨は、コロナ禍に発生した最初の災害でした。熊本県だけで見ると、新型コロナウイルスの感染者は49人、亡くなった方は3人です(7月11日時点)。人吉市で一番大きな避難所は、人吉スポーツパレスでした。そこでは、受付の時に避難者の検温と手指の消毒をして、マスクや除菌シートを配布していたそうです。一番大きいアリーナでは卓球のフェンスを使って避難者同士の間隔をあけ、体調が悪い人には別の部屋を用意していました。
私は今回、マスク着用で取材していました。もしこちらがコロナに感染しており、発熱していたら地元にも迷惑をかけてしまう。替えのマスクも大量に持参して、どんなに暑くてもマスクはつけていました。マスクの中は汗でびっしょりでしたが、それよりも飛び散る泥でマスクはぐちゃぐちゃになっていました。