陳浩基の『13・67』が流れを変えた
――島田さんが選考委員を務める、2009年に創設された「中国語で書かれた未発表のミステリー長編」を募る新人賞ですね。第2回(11年)受賞者である陳浩基さんが、受賞後第1作として発表した長編『13・67』は、日本で17年9月に翻訳出版されベストセラーとなり、週刊文春ミステリーベスト10の海外部門第1位に輝きました。
オビで「華文ミステリー最大の話題作」と大々的に謳われている、この本をきっかけに中国語文化圏で発表されているエンタメ小説需要の土壌ができて、今度はSFだけれども「華文」のものが現れたぞということで、日本でも『三体』が読まれたという肌感覚があります。
島田 そうかもしれませんね。確かに「華文」という言葉は、島田賞によって広まったのかなというふうには思います。『13・67』に関して話をすると、あの本は日本のみならず世界各国で翻訳され、ベストセラーとなっています。ミステリーとして素晴らしく優れた短編連作であり、私もあっという間に読んでしまいました。
作者の陳さんは、香港出身です。小説の舞台も香港で、雨傘革命前夜の2013年から反英暴動が勃発した1967年へと、時間が逆戻りしていく構成なんですよね。
つまり、『三体』を読むことで中国について学べるものがあったように、『13・67』では香港の歴史や社会文化に触れることができるんです。ミステリーというものは、混迷をきたす世界情勢の中にあって、人々の理解を繋ぐ将来有望な文学形態なのかもしれません。
――華文ミステリーの多様性は、日本のミステリーと並べて語られることが多いです。両者はどのような関係にあるとお考えですか?
島田 まず、ほんの十数年前まで中国では、ミステリーといえばシャーロック・ホームズしか知られていないようなところがありました。その後各国で花開いたミステリーが、翻訳され紹介される機会が長らくなかったんですね。
ところが今世紀に入ってから講談社が北京に現地法人を作り、日本の本格ミステリーの作品を中心に、中国大陸で版権ビジネスに乗り出しました。各出版社に売り込んだんですが、実はちっともうまくいかなかったんです。しかし、台湾でうまくいったんですよ。あの島に綾辻(行人)さんや私の作品が訳されて上陸するのと同時に、実は大陸の方でもものすごい勢いで中国の人が読んでくれるようになったんです。だって、同じ言語ですからね。台北を経由して、日本の本格ミステリーが大陸にも大量に流れ込む時代が訪れたわけです。
その後、08年だったでしょうか、北京の新星出版から正式に私の小説が翻訳出版されることになりました。月に10冊ぐらい訳された時もあったんじゃなかったかなというぐらい、猛烈な勢いでしたね。それら日本のミステリーを読んだ若者たちが、自分たちでもミステリーを書くようになった。それが、現在の華文ミステリーの興隆に繋がっているんです。