「連帯保証人」で1億円の借金地獄
寛平はやがてストリップ劇場の幕間のコントで人気を得るようになる。しかしストリップの観客は当然、男ばかり。1年ほど経ったころ、女性や子供が来てくれる舞台に出たいと、今度も同級生の口利きで吉本新喜劇に入れてもらった。さっそく舞台に立ったものの、セリフの訛りが強すぎるとすぐに降ろされてしまう。そこで幕引きや座長の花紀京の付き人に回されたが、しょっちゅうしくじっては怒られ、自信を失いかける。そこへ役者仲間の木村進が寛平の面白さを理解したうえ、自分が相手役をやるからと舞台に戻してくれた。このおかげで彼は一気にブレイクを果たす。吉本は2人の人気があまりにすごいので、木村と寛平を分け、それぞれ新喜劇の座長に据えた。このとき寛平は25歳。座長となった彼を、今度は先輩たちが引き立ててくれた。やがて漫才師だった池乃めだかが新喜劇に加わると、新たに寛平の相手役を務めるようになる。ここから生まれたのが寛平の猿とめだかの猫のギャグだった。猿のモノマネは寛平の得意ネタのひとつとなる。のちには、『笑っていいとも!』に出演するたび、司会のタモリと互いに猿になりきってファイトを繰り広げていたのも思い出される。
舞台裏では謙虚な寛平は誰からも好かれた。しかし、人から何か頼まれてもいやと言えない性格は、大きな災いを生むことになる。芸人仲間のほか、いろんな人に頼まれて借金の連帯保証人になるうち、相手に逃げられては自分が多額の借金を抱えるはめに陥ったのだ。おかげで、12~13年間は毎日のように借金取りが楽屋や自宅に押しかけてくるという地獄の日々をすごす。借金が5000万円近くまで膨れ上がったときには、一発当てて返済しようと、そのころ自分の番組で人気が出始めたアメママンというキャラをバッジにした「アメマバッジ」を10万個つくった。だが直後に番組が終了、バッジは大量に売れ残り、1億円ほどまた借金ができてしまう。吉本にもカネを借りたため、37~38歳のころにはついに見離され、自ら地方を営業に回って稼がねばならなくなっていた。
「東京に出なあかん」神のお告げ
そんな寛平が39歳にして上京を思い立つ。きっかけは、営業先の岡山の旅館で寝ていたところ、“神のお告げ”があったからだという。その夜、午前3時ごろにふと目が覚めて、畳の目をジーッと見ていると突然、「東京に出なあかん。東京へ出てひとつ勝負してみい」という声が聞こえた。さらにこのあと夜が明けきらない時間にもまた、「はよ東京に出る支度をせんか」との声があったのだとか。その朝、急いで大阪に帰って吉本の本社に赴くと、退社して東京に行くと申し出た。結局、吉本側からは引き止められ、東京事務所に入るという形で東京進出が決まる。夫人は、寛平の唐突な決断をすんなり聞き入れ、かつて追っかけをして知り合った萩本欽一にも紹介してくれた。萩本は、ある関東ローカルの番組に口を利いてくれ、寛平は大阪に家族を残して単身上京したその日にレギュラーが1本決まる。