キティちゃんフレームの中の私たちは絶望的にダサかったけれど
原宿で1時間並んで、外で待ってる母親に散々ぶつぶつ言われてまでやっと撮れたたった2枚のキティちゃんフレームのプリクラは、機械の調子が悪かったのか全体が不自然に赤くて、その赤ピンクの光の中で安い私服にスプレーで週末用に染めた茶髪の私とサナコは、左右対称になるポーズで固まっていた。今までのいくつかのプリクラよりさらに絶望的にダサかったけれど、それでも私たちは前週の終業式で会った時には持っていなかったものを、いくつか手に入れて、少しだけなりたい自分に近づいていた。
その時の私にとってプリクラは特別な体験で、それも一度してみたい類の特別ではなく、早く特別ではない状態になりたいと願うような、下ろしたての靴を痛いのを我慢して履いて足に馴染ませるような時間だった。
遅めのランチを食べて母親が渋谷に向かった後、2人で乗った空いている横須賀線の中で、私たちはキティちゃんプリクラ2枚をそれぞれ真ん中で二つに切り分け、手帳の目立つところに貼った。残りは、他の友人との交換用に、手帳の中にあるビニールのポケットにしまっておく。手帳のページは数センチだけ埋まったけど、他のプリクラと並べるとやっぱりその日のシールは顔も手も服も赤っぽくて、私たちは原宿にいた誰よりもダサくて、大いに満足して大いに不満だった。特別な体験はただ体験して終わるのではなく、手帳の中に溜めていくための、それで手帳を満たしていくためのプロセスでもあった。
ラブボートの鏡やヴィトンの手帳にもプリクラを敷き詰める
数年後、高校生となった私は、多くの時間を渋谷センター街の中にある「プリクラのメッカ」で過ごした。友人たちと連れ立って109に買い物に行く時も、ファーストフードで溜まって話し込んだ後も、時間とお金に余裕があれば、増えていく機種と垢抜けていく自分らを楽しみながら、プリクラの枚数を増やした。
中学時代に使っていた無印の手帳はすっかりいっぱいになって、ラブボートの鏡やヴィトンの手帳にもプリクラを敷き詰めるように貼っていた。プリクラの中の自分は、緊張してキデイランドでポーズを決めていた頃とは比べ物にならないくらいこなれていって、眉毛は抜き方も描き方も完璧で、遠近法とかプリクラ映りの良い白シャドウとか変顔とか大勢で撮る時の位置取りとかもマスターして、雑誌に載って差し障りない仕上がりになっていた。