でも現実の自分がなりたい自分と完全に一致することなんてなくて、そもそも自分が進化するスピードに比べて、なりたい自分の方は倍速で大きくなって、eggやPopteenの発売日にはいつも欲しいものが倍々で増えていくし、新曲が出る度にカラオケでまだ歌えない曲は増えていくし、知識や経験が増えるほど、現実の自分のつまらなさは際立った。自分が自分に証明しなきゃいけないものがなくならない限り、理想の自分が現実の自分を常に追い越すのをやめない限り、もっと楽しくてもっと可愛くてもっと豊かでもっと充実してもっとイケててもっと素敵でもっと自由な生活を夢見る時間がなくならない限り、手帳や鏡や学校の机にすらプリクラを貼り続けるのを止められなかった。
友達がいること、お金があること、イケてることの「証明」
あの頃、プリクラは多くのものを象徴していたと思う。友達がいること、お金があること、可愛いこと、楽しんでいること、イケてること、こなれていること、遊んでいること、充実した生活を送っていること、時代を満喫していること、素敵な女性であること。それは実感とか経験とか気分とか、曖昧なもので証明するだけではダメで、私たちはあの小さな四角いシールの中に、そのシールが張り巡らされた手帳の中に、その手帳が入ったバッグの中に、その証明を求めていた。
目に見えるものじゃなければ意味がなかったし、モノだけでも体験だけでもダメだった。体験がなくては手に入らないその小さいシールは、まだ何者でもない、何も持っていない、何になりたいのかもよくわからない私たちの、期待や不安や不満を、少し和らげてくれる気がした。
渋谷ではそこら中にプリクラ機があって、毎日のように撮っては貼り、撮っては貼り、を繰り返していたあの熱狂の一部は、それがモノと体験の両方を提供し、若さを生き抜くのに必要なもののいくつかを、多面的に補ってくれていたことに起因している。「楽しい」ことは何よりも重要だったけれど、「楽しい」と感じることだけでは飽き足らず、「楽しかった」ことを証明し、「楽しそう」であることを表現し、「楽しくない」ことを誤魔化してくれる装置も必要だった。プリクラが満たしてくれる穴は、私たちがどこまでも不満だらけの不完全極まりない存在だから、注いでも注いでも埋まりきることはなく、気づけば手帳も鏡もいくつも埋め尽くされて、そうやって私たちは青春を生き抜いた。