原宿キデイランドの中にキティちゃんのフレームでプリクラが撮れる限定機種がある、という情報を、雑誌の記事で見つけて以来、私と隣のクラスだった親友のサナコはそのキティちゃんのフレームの中におさまることを最重要課題として、夏休みを迎えた。中学に入学してそれほど時間も経っていない私たちにとって、渋谷も原宿もまだ少し遠く感じる距離だったのだけど、ちょうどオーチャードホールの何かの公演に行く予定だった母が、途中まで付き合ってくれることとなった。
無印良品の手帳が膨らむくらいのプリクラが欲しかった
プリクラがこの世に誕生したのは1995年、私たちが中学に入学する前の年だ。300円という、中学生や高校生にも気軽な値段と、撮るのを楽しんで、コレクションを楽しんで、交換を楽しめる万能さで、瞬く間に若者文化のど真ん中に陣取った。若者に人気のスポットや公共の場所に徐々に設置され始めたものの、当時まだ少なかったプリクラ機には、いつも長蛇の列ができて、カップルや女子グループが写真シールを作るために時間をかけて並んでいた。
もちろん、写真フィルムは量産されていたし、使い捨てカメラだってコンビニで気軽に買えるようになっていた時代で、別に自作で写真シールを作れないことはなかったけれど、私たちはプリクラに夢中になった。
鎌倉市内にある中学の最寄駅構内と、駅ビルの中にもプリクラ機ができていたのだけど、寄り道パトロールに来る先生の目を盗んで列に並ぶのは至難の技で、私もサナコもまだ片手で数えられるほどしか自分の写ったシールを持ってはいなかった。それでも6つ穴が開いた無印良品の手帳に撮ったシールと友人と交換したシールを貼って集めつつあった。当時のプリクラで撮り直しがきくのは2回まで。
当然、まだ眉毛の抜き方もよくわかってない私たちが、30分並んでプリクラ機の前に立ったところで、雑誌で紹介される高校生たちのようなイケてる姿を晒せるわけもない。手帳に貼ったどのプリクラも壊滅的にダサい黒髪の子供たちが不自然に硬直してピースサインをしているようなものだったし、写った自分の姿はなりたい自分の姿とかけ離れまくって落胆しまくっていたけど、それでも早くその手帳がぱんぱんに膨らむくらいのプリクラが欲しかった。