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プリクラ詐欺とともに自尊心の幅は広がった

 プリクラは私が高校に通っている間もどんどん進化し、フレームのカスタマイズや落書き機能、シールそのものの形態や大きさにも変化があった。当初はちょっとライトで飛ばす程度だった美肌機能も、今では顔や目の大きさまで自在に操れる。その度に、それが補ってくれる私たちの自尊心の幅も広がり、もっと手軽にもっと自在に、なりたい自分ではない鬱憤を晴らしてくれる存在となって久しい。プリクラ詐欺なんて言葉も流行るくらい、そこに映る自分は、現実の自分よりずっとスピーディーに理想を叶えて、可愛く、イケてる姿になっていく。

写真はイメージ ©︎iStock.com

 その間、他の選択肢も増えた。カメラ付き携帯が普及し、写真送信機能も充実し、スマホが導入されてからカメラアプリは毎日アップデートされ、もはや自分が自分以上でいられる場所は「プリクラのメッカ」の中にとどまらない。お金なんてかけずに何十枚でも自撮りして、気に入った一枚をさらに加工して、好きなキャプション付きでSNSにアップすれば、もはや進化が鈍い現実の自分なんて裏の方に引っ込んで、理想の姿を作り上げることは思いっきり簡単にできるようになった。

写真はイメージ ©︎iStock.com

 それでも私たちがプリクラ機の前に立つという、今となっては原始的な行為を続けてきたのは、可愛くってイケててセンスがいい姿を作り上げることは、プリクラという類まれな経験の一部であって全部でないからだと思う。キデイランドやメッカに寄って並んで撮ってハサミで切って笑い合って交換して貼って、その体験自体にも代えがたい価値と、満たしてくれる穴があった。

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 当初よりずっと完璧な形で達成される一部があっても、毎日プリクラを撮って遊んでいたあの時間が満たしてくれた他の部分だってあるわけで、ある日何かの天変地異が起きて、私たちが完全に満たされるなんてことが実現しない限り、プリクラが証明しなきゃならない誰かの青春の価値は存在し続ける。きっとそんな気がする。