NHK大河ドラマ「秀吉」(96年)、連続テレビ小説「あすか」(99年)、TBSドラマ「ホテル」(94年)を経て、30代ではドラマ以外の仕事にも幅を広げていった。
「よく番組で世界の秘境へ行かせていただけることが多いんです。アンマンの古代遺跡、中国の敦煌の旧シルクロード、パラグアイにも行きました。
特に思い出に残っているのは、『世界ウルルン滞在記』(TBS系)で、アフリカ・カメルーンに1人で渡ったこと。不安でしたが、帰国後に女優人生の中でも節目になると意気込んでいた、こまつ座の舞台『頭痛肩こり樋口一葉』の一葉役が控えていたので、『この旅を乗り切れれば、舞台も頑張れるに違いない』と思ったんですよね。どちらも上手くいったのは自信になりました」
引退を考えた日々のこと
一見、順風満帆な女優道を歩んでいるように見えた有森だったが、引退を考える日々があったと打ち明ける。
「30代後半からは、なんか常に崖っぷちでしたね。心のどこかで『これでいいのかな』ってずっと思っていました。小難しいことを考えてしまうんですよね。正直、女優を辞めてしまおうと思ったことも何回かありました。不思議と悩んだ時期にいい作品に出合い、引き留められたんですよね。
引退したらダンスの表現を教えたいと考えていました。5歳からバレエを習っていましたから。ただ、毎日レッスンしているわけではないですし、プロのダンサーが引退してバレエを教えるのと同じことはできない。それでも、大人になってからバレエを始める方も多いので、そういう方たちのニーズに応えられるようなお手伝いをしたい。そういう思いは、今でもあります」
一方で、最近では大きな決断もした。デビュー以来、37年間所属したスペースクラフトを5月末で退社したのだ。近年、菊池桃子、小泉今日子、米倉涼子ら、ベテラン女優が長年所属した事務所から独立するケースが増えている。有森は、どのような理由から独立に至ったのだろうか。