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2020/07/22

source : 文藝春秋

genre : ニュース, 社会

 この吊し上げによって、なぜか「A神父の使い込み事件」は「信徒の越権行為によって引き起こされたこと」と断じる風向きとなり、議場の神父から冒頭の野次も出た。その空気は異様で「ある神父様が『信徒のお金なんだから本人に返してもらうべきでは』と口にしたら、目上の神父からたしなめられたと聞いた」(出席神父から聞いた信徒の証言)。

女性は急性ストレス性胃腸炎で倒れ、一時入院

 さらに当初は自首を求めていたはずの高見大司教はこの頃から「弁護士と女性の意見に巻き込まれた」と周囲に漏らしてA神父を庇い始め、結局、この19年の7月に九州の別の教区に異動させただけで賠償責任も問わずじまい。その一方、くだんの女性室長が仕事の報告にやってくると怒鳴りあげ、その声を聞いたシスターや神父から「言い過ぎです」といさめられることがあったという。

高見大司教(左端)は昨年、教皇フランシスコが長崎を訪問した際の案内役も担った ©AFLO

 女性室長は翌8月には急性ストレス性胃腸炎で倒れ、県内の病院に一時は入院。今年に入り高見大司教は顧問会で「数人から彼女に不服の意見が寄せられている。私もそう感じる」などとあからさまにそしるようになり、女性室長は6月下旬になって職場を休んでいるという。

 なぜ教会でパワハラが起きたのか。なぜA神父は使い込みの責任を問われるどころか開き直り、高見大司教以下、大司教区も不問としたのか――。

 原因となった資金のやり取りについて取材を重ねるうち、私は3つの資料を入手した。それらを読み進めると、驚くべき事実経過が明らかになった。

長崎大司教区が交わした「覚書」

 1つ目は「覚書」と頭書きされたA4判の1枚紙。2つ目は「貸金についての返済請求計画書」と書かれた、これまた1枚の紙。いずれも作成日は17年1月12日だ。さらに3つ目は、その前日にあたる1月11日、A神父の後任の法人事務所長を任されていたB神父が、資金回収に向け、弁護士に助言を求めるために作成したA4判5枚のメモ書きだった。

 第1の証拠、「覚書」の冒頭はこう始まる(「甲」や「乙」の人称表記は記事向けに改めた)。

浦上天主堂 ©iStock.com

〈カトリック長崎大司教区 教区会計 B神父とKは、以下の事項に関して合意した〉

 K氏という人物は、漢字とローマ字で名前をサインし、英語で書かれた住所はUAE(アラブ首長国連邦)の「フジャイラ貿易センター」の事務所の私書箱になっている。そんなK氏との間で、大司教区が締結した覚書のポイントは、次の2つだ。