人一倍詳しかったスキンケア
時を同じくして、誉幸氏は継承したKIMIJIMAの運営に追われていた。
「私が嫁いだ頃は、『お客様、この生地はリントンのツイードで、もう二度と手に入りません。海外ブランドも使っている品です。一生モノです』と言えたんですけど、ファストファッションが流行り、少しずつ『一生もの』という言葉が陳腐になってしまった」
化粧品事業に参入すると決めたのは、皮膚科医の経歴を持つ誉幸氏だった。
「君島一郎の願いでもありました。クリスチャン・ディオールやシャネルなどのブランドがコスメティックを展開する流れがヨーロッパにはありましたので、主人が皮膚科医になった時点で、いずれという思いはあったと思います」
キャンペーンガール時代の日焼け肌を回復するのに苦労した経験から、十和子はスキンケアに人一倍詳しかった。「特別なことはしていません」が女優の常套句だった90年代初頭から、二つの手鏡を90度の角度で持ち眉を描く方法や、お気に入りの基礎化粧品を惜しげもなく雑誌で紹介もしていた。
化粧品業界は完全なる男社会だ。始めは「奥さん、なに言ってるんですか」と取り合ってもらえないこともあったが、元皮膚科医の誉幸氏がすかさず援護射撃をしたという。あきんど物語だ。
「そうなんです(笑)。『昭和枯れすすき』みたいな話になっちゃうんですけど。専門用語では伝えられなくても、求めるものは具体的に頭の中にあった。だから、たどり着けたんだと思います」
お客様には同じ失敗をしてほしくない
業界のルールを知らず、商品発表会を季節外れの6月に行う失敗もあった。実売期に発表しても遅いのだ。
「化粧品の価値って、2回目を買うか買わないかで決められると思う。良いと思っていただいても、その価値に納得がいかなければ2回目は買っていただけない」
試行錯誤の末に完成したUVパーフェクトクリームは、現在4代目となる。
「私が最初に壁にぶち当たる人でありたい。そしてお客様に伝えるんです。同じ失敗をしてほしくないから」