社会派小説は教科書。本当に奥深い、大きなものだから挑戦したい
――登場人物のなかでは、速水の同期の秋村という、まったく異なるタイプのライバル的な存在が印象に残りました。
塩田 あれは村井さんから「同期萌え」という提案があったんです(笑)。僕には分からない感覚なんですよ、同期萌えって。最初秋村ももう少し人間らしいところがあったんですけれど、もうあえて機械化して、数字数字でやってきた人間にしました。もう一人、小山内という同期の人間を配置することによって、速水という人間の光と影を説明できるようにしました。最初は同期萌えと言われてなんのこっちゃと思いましたが(笑)、これが同期萌えのメリットかと気づきました。
小説には人の人生を狂わせてしまうくらいの力がある
――いつも驚異的にダサい格好をしている副編集長とか、女性編集者同士のライバル心とかの人間模様も面白かったですね。ところで、雑誌編集者でありながら文芸にも強い思い入れのある速水ですが、それには過去の出来事がからんでいる。あれは沁みるエピソードでした。
塩田 書いていて思ったのは、やっぱり自分は小説が好きで、19歳の頃から毎日書いているので、小説に対する愛情というのを強く表したいということでした。小説はこれだけ人を惹きつけている、これだけ人を狂わせるくらいの力があるものなんだというところを表現したくて。世の中のメディアがどんどん変わって、活字を読むということが選択肢のなかでどんどん端に追いやられている状況で、もう一度小説のよさ、面白さというのを表現したかったんです。結構いろいろ書いていますけれど、小説に対する愛情というのはエピローグにもってきたかったですね。
――そう、小説は人の人生を狂わせてしまうこともある。ここにはそんな新人作家も登場しますね。
塩田 これは現実の問題です。2作目が書けずに消える人も結構います。せめてチャンスの場くらいは、とは思います。今は文芸誌がどんどんなくなって、チャンスすら与えられずに、暮らしていけなくなる人もいる。単行本で売れなかったから文庫で挽回するという流れもなくなってきていますし。今も苦しいですけれど、この先もっと苦しくなるのは目に見えているんですよ。その危機感があるからこそ、あれは書く必要がありました。
――速水が最終的にとった形というのは、本当に今後そういうふうにシフトしていくんだろうなと思わせるものがありました。
塩田 より鮮やかな落差を見せたかったんです。ひとつひとつがひっくり返ると、まったく新しい可能性に満ちたものになるという。だから、あれは具体的に書かないと駄目でした。本当にこれまでの雛型一本やりではまずくないですか、と突きつけたかったんですね。これを書くことによって、もちろん、やいのやいの言われる可能性があるんですけれど、本当に危ないと思っているんだったら、具体論で議論しようという気持ちがあります。小説を通じて、誰に何を伝えるかということを、読者まで確実に届けるというのは常々考えています。
――塩田さんはよく「社会派」と言いますが、やはりそこにこだわりがありますか。
塩田 やはり山崎豊子さんの影響が大きいです。根本的に、人間が書けないと社会は書けないと思うんです。その、人間の本質を書いているのが山崎豊子である。僕はそれにすごく憧れを持っているんですね。
社会派小説というのは、教科書でもあるんですよね。その教科書を書くというのは大変なことなんです。本当に奥深い、大きなものだから挑戦したい。もちろん山崎さんの時代の書き方と、僕の時代の書き方は全然違うというのはあります。でも、しっかりした社会派小説があれば、きっと小説はなくならないとも思っています。「昔は小説家なる者がいた」と教科書に載るとか、文化庁の補助金なんかをもらいながら細々と書く、みたいにはしたくないんです。だからエンターテインメント性も無視できない。エンターテインメントとして人を楽しませて、社会派として学べる小説を書く、というところが、僕の軸になると思います。
塩田武士(しおた・たけし)
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。神戸新聞社在職中の2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞、“「週刊文春」ミステリーベスト10”で国内部門第1位となる。2017年本屋大賞では3位に。他の著作に『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』がある。
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※〈構想15年。昭和最大の未解決事件“グリ森”をテーマにした『罪の声』を生んだ新聞記者経験──「作家と90分」塩田武士(後篇)〉に続く