多くの謎を残したまま未解決となった「グリコ・森永事件」の第一幕は社長の誘拐から始まった。会社施設への放火、菓子に毒物を混入し企業を脅迫。身代金取引の電話では子供の声が使われ「かい人21面相」などと名乗った挑戦状が送りつけられるという陰湿な事件だった。『罪の声』はこの事件をモデルにしたフィクションである。
事件から三十一年後に企画された新聞社の取材に駆り出されたのはなんと「文化部」の記者。読者はその目を通して犯人像に迫っていくことになる。
もうひとりの主役は「身代金取引の声」が幼少期の自分の声であることに気づいた男性だ。二人は独自に事件を調べ続け、その交点に真相が浮上してくる。パズルを組み立てるように調査は続き記者はついに犯人の一人に到達。事件の全貌を世に放つ――。
冒頭で取材は難航し失敗の連続と思われるのだが、その行程が後に収斂し全ての謎が回収されていく構成は丁寧だ。
これまでに判明しているグリ森事件の事実関係を凹型とすれば、それにピタリと組み合わされる凸型の推論パートを描き出したのが本書。複雑な事件構成にも関わらず破綻も見せずに犯人像を絞り込んでいく。
著者の塩田氏は執筆にあたり実際の事件舞台を踏んだのであろう。身代金取引現場などの描写は細かい。全四一六ページの重厚な書ではあるが、取材開始までの各アプローチシーンなどはややくどい気もする。
終盤、取材手法を振り返り「貼り絵のように情報の欠片をコツコツと重ね合わせていった結果で、この手法こそが、今も昔もこれからも人々が求め続ける調査報道のあり方だ」と記す。まさに調査報道取材の疑似体験ができるのか……、いやいや冗談ではない。こんなにスルスルと重大事件の謎解きができてたまるか、というのが実際にグリ森事件当時の取材にも関わった偏屈記者(私)の正直な感想でもあるのだが、それはともかくミステリーとしての読み応えは十分だろう。過去、グリ森事件を題材にした作品は数多い。ノンフィクションの体を取りつつ「真犯人」に到達したかのような噴飯物の書も存在する中、本書が被害社名を架空のものとしフィクションであることを明確にしているのは賢明だ。元新聞記者である著者の矜持として「事実と創作」の安易な混在を避けたのではなかろうか。ならばこそ、グリ森とはいったいどんな事件だったのか、当時を知らぬ世代の人たちにとっては、詳細をひもとく史料にもなるはずだ。
しおたたけし/1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。新聞社勤務後、2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞しデビューする。著書に『女神のタクト』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』等がある。
しみず きよし/1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。著書に『桶川ストーカー殺人事件―遺言』『「南京事件」を調査せよ』等。