21歳の時、グリコ森永事件の犯行に使われた声の子どもが自分とほぼ同い年だと知った
――『罪の声』は昨年刊行されて山田風太郎賞を受賞し、本屋大賞でも3位となった作品ですが、実はデビューする前からアイデアがあったそうですね。
塩田 構想15年ですから。21歳の時に大学の食堂で一橋文哉さんのグリコ・森永事件の本を読んで、犯行に子どもの声が使われたと知って。その子が自分とほぼ同い年で、今も生きているかもしれない。これは小説にしたらすごいことになる、今はまだ無理だけれどいつか書こう、と思いました。これはどこまでほんまでどこまで嘘か分からへんみたいなところまで分解して書きました。かい人21面相の犯人像も、ちょっと違うんだということも書きたかったし、子どもの未来を奪うということは、社会の未来を奪うことであるという強く伝えたいメッセージもありました。それで書き切ることができましたね。社会派を書く第1弾はこれしかないと思っていました。それがうまくいったので、この『騙し絵の牙』にも繋がりました。
――デビューしてすぐに『罪の声』を書くことはしなかったわけですよね。
塩田 デビュー当時、講談社の初代編集者にアイデアを話したら、「まだ実力が足りない」と言われたんです。楽観的なので、もっと早く売れる作家になって、もっと早く書くつもりでした。でも全然売れなくて、どんどん条件が悪くなっていって。まずいぞというのがだんだん出てきました。やっぱり『氷の仮面』(14年新潮社刊)が一番痛かったですね。
――男の子に生まれた子が、性同一性障害に悩む話ですよね。
塩田 きっちり取材もしましたし、小説として面白いから絶対に売れると思ったんですよ。でも箸にも棒にもかからずに、まったく話題にならないまま消えてしまった。もうゼロに何をかけてもゼロじゃないか、みたいな感覚になりました。
でも、その次の『拳に聞け!』(15年双葉社刊)まで読んだ、先ほどの講談社の初代担当と今の担当編集者が京都に来てくれて、「もういけると踏んだ」、と。部長も含めて、今ならこのチームでグリ森事件をやれるぞ、って。自分たちは人事異動があるから、バックアップできるとしたら今しかないと言われました。全員週刊誌出身のやんちゃな人間なんです。グリ森事件をやるなら、そういう無茶苦茶な編集者やないと無理だというのがありました。現担当とはプレッシャーのかけあいをしていたんですよね。「塩田さん、いつの間にか仕事なくなるよ」「今は何年か先まで連載が決まっているかもしれないけれど、そんな口約束は何の意味もないよ」って。頭では分かっていたけれど、『氷の仮面』の失敗で、それがだんだん現実のものとして考えられるようになって、もう今ここに乗るしかない、となりました。
デビューしたときに「まだ今は書くな」と言った編集者の才能
――編集者の方が、デビュー後からずーっと時機をうかがっていたというのがすごいですよね。
塩田 この前、初代担当とご飯食べていて「このラインを読んでいたのはさすがだと思います」と言ったら、「分かんねえよそんなの」って言ってました。「勘だよ」って。なんやこのおっさんって思って(笑)。でも彼が才能のある編集者なのは、デビューした当時「書くな」と言ったことなんです。普通「書け」なんですよ、絶対。書くまでの間に他の誰かに同じネタで書かれたら、責任を負わないといけませんから。でもここまで溜めて、ここというタイミングで書けたのは、やっぱりすごいことだなと思います。