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僕から小説抜いたら何もない。小説があるからこうして立っていられる

――正直、長年周到に準備して書き上げた『罪の声』が評価されたら、燃え尽きちゃうんじゃないかとも思ったんです。でも『騙し絵の牙』が2013年から準備を始めていたと知って、次の一歩もすでに考えていらしたんだな、と。

騙し絵の牙

塩田 武士(著)

KADOKAWA
2017年8月31日 発売

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塩田 そうですね。僕には常に書きたいものがあります。本当に、小説抜いたら何もないんですよ。特技も趣味もなくて、人間的に駄目になってしまうので。小説があるからこうして立っていられるんです。

 もちろん『騙し絵の牙』も全力を出しましたけれど、それで燃え尽きるかと言ったらまったくそのつもりはなくて、より困難なものに挑戦しようとしています。そのための環境を整えているところです。と言っても今38歳なので、小説家としてはまだまだなんですね。40代、50代の小説家としてのピークを迎える前なので、もっともっと背伸びをして最高のものを書いていきたいんです。書くのはひとつひとつしんどくなっているけれど、返ってくるものは大きくなっているという感覚があります。そのためには思考を続けることかな、と思っていて。今は一回でも面白くないと思われたら読者は戻ってきてくれないという危機感があります。作品を書きながら成長を期待するという状況にはないですね。それに、今後書くものはデビュー当時とまったく違うものになりますね。

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――どう違うんですか。

塩田 自分の経験だけでは書かないですね。昔は面白いと思ったらバーッと書けたんですね。それはエンタメというところに心を奪われていたからというのもある。今は自分の興味自体が社会的なものに惹かれるようになってきています。そうなるとやっぱり、短篇でも時間がかかるんですよね。今、「小説現代」で「後報」シリーズというのを始めたんです。誤報ののち、真実が分かるというテーマです。誤報って、お詫び訂正が載ったとしても、その先がどうなったから分からないでしょう。新聞記者としてはそこがすごく気になるところでした。誤報の後に人間ドラマがあるということを書いています。これも材料を集めてきてプロットを作って書くので、短篇ですけれども時間はかかります。

記事は“書いていないところ”に人間臭さがある

©佐藤亘/文藝春秋

――事実をベースにして、そこからフィクションを作るやり方なんですね。

塩田 そこも新聞記者をしていたからだと思いますね。記事になる部分って表面的なことが多いんです。雛型も決まっているし。本当は、書いていないところに人間臭さがあるんです。被害者が100%被害者なのか、加害者は100%加害者なのかを考えると、白黒ではなく、グレーの濃淡だったりする。そこは意識しています。

――では、「後報」シリーズ以外のご予定は。

塩田 講談社で書き下ろしの長篇をやるんですけれど、取材がむちゃくちゃ難しくて、今チームで動いています。他にもいくつか長篇のネタがありますが、それはもう少し練ります。今はそれぞれの資料を集めてノートやファイルを作っていくのが楽しいですね。