スーパーな春子、小賢しいみくり、やればできる子のメイ
『ハケンの品格』のスーパーハケン大前春子(篠原涼子)は多くの資格をとり、あらゆる労働のニーズに応えるスキルを磨いている。誰にも媚びず頼らず孤高の人物。いわば、強固な鎧を身に着けた戦士である。
『逃げ恥』のみくりは大学院を出た優秀な人物で、心理学を学んだため他者の心を読むことに敏いが、それが元カレに「小賢しい」と言われてしまう。持て余す高い能力。だがその「小賢しさ」が彼女の生きる武器でもあった。
『ナギサさん』のメイは製薬会社の営業として勉強もしているし対人コミュニケーションも研究し努力して営業成績をあげている。部屋は散らかってはいるが、外出時にはアクセサリーもしてそれなりにおしゃれにも気を使っているし、本当は男勝りに仕事するタイプではなく、「お母さん」になりたかったという描写も出てくる。母親に「男に負けるな」と言われて育ったため、自分に枷をはめてしまっているだけ。「やればできる子」という“呪文”で自分を奮い立たせているのだ。
こうして3人を並べてみて興味深いことは、時代とともにドラマのヒロインは、スーパーな強さを持つのではなく、弱さを晒していること。スーパーな春子、小賢しいみくり、やればできる子のメイ……といじらしさが増していく。つまり、そんなに無理しなくてもよくなることこそ、女性の地位の向上になっているかのようだ。
「あざとく生きられない」視聴者に刺さるヒロイン
今は、田中みな実を代表に「あざとい」生き方に注目が集まっているが、誰もがあざとく生きられるわけではない。春子はあざとさ0%、むしろ媚びなさ過ぎる。みくりは「小賢しさ」が若干「あざとさ」にも通じるが、そこまで開き直ってはいない。メイは、営業先のおじさんに愛想を振りまいたり、好きな漫画を読んで話を合わせたりしてはいるものの、マッチングアプリの自己紹介でキャラを盛ることを躊躇するような素朴な人物だ。
あざとく生きることは難しいし、テクニックが要る。春子みたいに強くも生きられない。そんな者たちは、みくりやメイのようにちょっとだけ頑張っている人物に自分を投影してしまう。私たち視聴者が彼女たちに共感するのは、生きることを少し窮屈に感じながら、それでも生真面目に向き合っているところである。大前春子になれないし、みくりのように要領もよくない。視聴者の視点に近いメイのことを応援したくなる。