だから自分で自分に言い聞かせた。「大丈夫、大丈夫」と。
しかし自分で唱えたその言葉は、三浦さんの心を救えなかった。
孤独を救った“未来の夫”の一言
その後自分をいじめるように生きてしまったという三浦さん。
いじめていることにすら気づかなかったと言う。
起きたことは自分のせいだと思っていた。
成長して、付き合った彼氏には試すように告白するようになった。
ところがそのたびに責められたり、あるいは男性の方が勝手に傷ついたり。
「汚されたあなた」を受け入れる僕は偉いというような反応ばかりに「あ、駄目だ」と、ますます孤独を深めるようになっていた。
ところが大学時代に出会った現在の伴侶・清志さんはこれまでの誰とも違う反応だった。
「うん、うん、ってひたすら聞いてくれたんです。」
清志さんは、三浦さんに起きてしまったことは三浦さんのせいではないとはっきり言った。女の子だったり、若かったり、偶然そこらへんを歩いていたりしたことは犯罪者が目をつける理由だったかもしれないが、それが犯罪を正当化することには決してならない。自分がどんなに努力しても逃げられないような犯罪にあうことは、可能性として否定できないでしょう、と。
三浦さんにとって驚きだった。そういう発想をしたことがなかった。
「もし14歳のあの時、誰かがそんな当たり前のことを継続的に何回も何回も言ってくれていたら、違ったんじゃないかなって気がします。」
三浦さんの中で、自身も気づかないうちに抱いていた「汚された」という社会から植え付けられた何かが、ゆっくり時間をかけて解けていくのを感じた。
我が子に伝える「性」について
三浦さんには現在小学校低学年になる娘がいる。
三浦さんの性被害について、本を世に出す前にしっかりと話しあったと言う。
そんなに小さな子供に意味はわかるものなのか、私は率直に聞いてみた。
三浦さんはまず自分が小さい頃いじめにあったこと。いじめというものの延長線上として、その人の意にそぐわないことを強制するのはよくないということを娘に教えた。