「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。
しかし、いまなお、テレビは面白い!
そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の6人目のゲストは、9月9日、10日にユニットコントライブ「さよなら、絶景雑技団」の公演を控えているピースの又吉直樹さん!
又吉さんはどのようなテレビに影響を受けてきたのか。まずはコント番組を中心としたテレビ遍歴を伺った。
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ドリフのゴリラ、寛平&めだかの猿と猫
――又吉さんがはじめて「コント」を見た記憶は何でしょうか?
又吉 ドリフターズですかね。記憶はあやふやですけど、『(8時だョ!)全員集合』で、2階か3階建てのドアがいっぱいある大きなセットがあって、どこからゴリラが出てくるかわからない、みたいなコントを覚えてます。それがもう面白くて面白くて。両親に「何がそんなに面白いねん」って言われるぐらいに、ずーっとテレビの前で笑ってました。まぁ、今思えばシンプルな作りの笑いなんですけど、大好きでしたね。
――それはいつ頃のことなんですか?
又吉 小学校に入る前、たぶん5歳とか6歳ぐらいですかね。それと同時期には、吉本新喜劇の(間)寛平師匠と(池乃)めだか師匠の、猿と猫のくだりが好きでした。動物系に弱いんですかね(笑)。動物に追われるとか、動物と戦うとか、そういうシチュエーションが面白かったんですよね。
――寛平さんが大好きだとエッセイにも書かれてましたけど、どんなところに惹かれたんですか?
又吉 子供から見ると、あのボケが「舞台で演じられたもの」に見えなかったんですよね。言い方はおかしいですけど、「本当にこの人って、こういう人なんだ」と思って(笑)。寛平師匠がお爺ちゃんになって杖振り回すコントあるじゃないですか。あれなんか、こっちがどうすることもできひんみたいな存在に見えて、ボケというものを超えているんですよね。
大きくなっても結局ドリフで笑っちゃう
――又吉さんはその頃から、父親の誕生日にネタを書いていたそうですね。
又吉 あぁそうですね。お姉ちゃんに「誕生日どうする? 漫才書いてやろうか」って促されて。僕はまだ字も書けない時だったので、「じゃあこれは?」って僕が喋ったのを、お姉ちゃんが紙に書いて台本を作りました。それでお姉ちゃん2人がそれを父親の前でやったんです。その紙見ながら。
――紙見ながら(笑)。
又吉 2人でそれを読みあげていったんですけど、父親からは「何がおもろいねん」って。
――どんなネタだったんですか?
又吉 山登りに行って、片方が「そろそろ下りようか」の意味で、「そろそろ下ろ(おろ)」って言ったけど、もうひとりは「ここにおろう」という意味だと勘違いして、ずっとそこに残ろうとして話が食い違う。その一点だけの笑い(笑)。それがなんか急に出てきたんですよ。
――かわいらしいネタですよね。
又吉 「直樹、なんか考えて」って言われて、自分で何かを作れたのが嬉しくてよく覚えてます。
――学校でも人を笑わすようなことはやっていたんですか?
又吉 『加トちゃんケンちゃん(ごきげんテレビ)』を観たら、コントをそのまま再現して、みんなを笑わせるみたいなことはしてましたけど、積極的に自分から笑わせるほうじゃなかったですね。ただ、たまに自分が言ったことで誰かが笑ったりするのは嬉しかったんですよ。だから「なんで今笑ったんやろう」みたいなことは考えるほうでした。
――ドリフの笑いって、だんだん年齢を重ねると子供っぽく感じることもあるかと思うんですけど、又吉さんにはそういう感じはありましたか。
又吉 僕、結構ゲラなんです。笑い上戸。だから大きくなってからもドリフで大笑いしてました。お笑い芸人になろうって決めてからは、ちょっとこう、斜めからお笑いを見るようになったんですよ。それでダウンタウンさんとか、自分の憧れていた芸人さん以外で笑ってはいけないんじゃないか、みたいな時期があったんですけど、結局、ドリフで笑っちゃうんですよね。僕が中学とか高校の頃って、『ドリフ(大爆笑)』をテレビで年1回くらいやっていたと思うんですけど、その中で『太陽にほえろ!』のパロディコントがあったんです。全員並んで、太陽に向かってほんとに「ウー」って吠えてるだけの5秒ぐらいのコント(笑)。それがめちゃくちゃ面白くて。