さらに1910年に陸軍の臨時軍用気球研究会試験場が設けられて以来、所沢は“航空の町”として発展していった。1911年には所沢飛行場が開設され、1913年には陸軍飛行大隊が設置、さらに陸軍航空学校も開校するなど、航空産業の一大拠点になったのだ。これら施設は終戦後は米軍に接収、返還後には所沢航空記念公園などとして整備されている。その最寄駅は新宿線の航空公園駅だが、所沢駅前のロータリーにも「航空発祥の地」と誇らしげに書かれている。
駅の南西側、大きな空き地の“正体”は?
と、そんな所沢の賑やかな西口を歩いていると、駅の南西側に大きな空き地があった。これは何かと内田さんに聞けば、「2000年まで当社の所沢車両工場があったところなんです」と教えてくれた。西武鉄道では所沢に工場を設けて自社で電車を製造していたことがあった。国鉄などにも採用された「ST式戸閉機構」を開発するなど、高い技術力を誇っていたという。
「所沢駅からの引き込み線も通っていたんです。今でもよく見るとその跡がわかるんですよ。今後は2020年代半ばを目処に大型商業施設がオープンする予定になっています」(内田さん)
どうやら、所沢は東京都心から30分にも満たない近さと2路線が交わるターミナルという利便性を背景に居住者を増やし、さらには商業の中心地として成長しつつあるようだ。西武鉄道でも今後一層の発展に期待しているという。
「特に最近はコロナの影響もあって、都心に出て買い物をするのがちょっと怖い。そういう方がご自宅から近い所沢で買い物をされるケースが増えているように感じます。肌感覚ですが、コロナ前と比べても池袋より所沢のほうがお客さまが戻ってきている。グランエミオもだいたいコロナ前の8割くらいまでに戻っていると聞いています」(笠間さん)
確かに、コロナ感染者が増えている中で都心に買い物に出るのはちょっとリスクを感じてしまう。そこで自宅から近い郊外に所沢のような“商業の拠点”があれば大助かり。それに、近くにはメットライフドームや西武園ゆうえんちのようなレジャー施設、緑豊かな狭山丘陵という環境もまた良し。平日の昼下がりに訪れたにもかかわらず、駅やその周辺が賑やかなのはこうした事情もあるのだろう。所沢、ナゾの駅なんていってスミマセンね……。
写真=鼠入昌史