「いままでは候補にしていただくことで首の皮一枚つながったというか、『次も書かせていただける』というのを続けてきました。書きたいものはいろいろ浮遊しているんですが、受賞したことで、あと1、2年は書かせてもらえるという喜びが湧いてきて、『ホッとした』と」
「文藝春秋」の取材にこう喜びを語るのは、沖縄を舞台にした「首里の馬」で芥川賞を受賞した高山羽根子氏だ。
1975年、富山県に生まれた高山氏は、その後、神奈川県に引っ越して幼少期を過ごした。本格的に小説を書き始めたのは、多摩美術大学を卒業して就職後、30歳を超えてからだ。どのような創作活動を経て、芥川賞受賞にいたったのか。大きな転機となった出来事について明かしてくれた。
大学卒業後はトリプルワークも
――大学で美術の勉強をされた後、就職をされたそうですね。
「就職氷河期世代だったこともあり、卒業後はダブルワーク、トリプルワークを含め、土日や早朝、深夜を問わず働いていました。テレビ画面に流れるテロップや地図を作る仕事、編集プロダクションのお手伝いに、イベントスペースで飲み物を提供する仕事、絵画教室の講師……20代は本当にいろんなことをやりましたね」
――30歳を過ぎてから本格的に小説を書かれたそうですね。
「30代半ばで転職し、いわゆる『9時5時』の生活になりました。毎日のように芝居を観れるし、日曜日に美術館にも行ける。いろんなことを始めようと思って、辿り着いたのが文章を書くことでした。『30の手習い』ではないですけど、社会人向け文章教室に通い始めたんです。月に2度くらいのペースで2年弱くらい通いましたが、当時はまさか小説家になるとは思っていませんでした」
――先生はどなたですか?
「根本昌夫先生です」
――あっ、高山さんもですか。2018年に芥川賞を同時受賞した若竹千佐子さんと石井遊佳さんも根本先生の教室に通っていましたね。