罪を告白する加害者、隠蔽する学校
菜絵が自殺した直後から、いじめを苦にしたという疑いはあった。飛び降りたマンションの通路に彼女の携帯電話があり、そこには未送信メールが残されていたからだ。そのメールには、
「みんな呪ってやる」
と書かれていた。
そのメールの存在を亜弥が警察から知らされたのは、当日、救急で運ばれた病院だった。LINEでのいじめを知るのは告別式のときで、同級生のひとりが「私のせいでこうなった」と誰もが読めるタイムラインで投稿した。さらに、4月25日になると、いじめや暴力があったことを教えてくれた生徒があらわれた。
4月26日に亜弥は学校へ出向き、「自殺前日のことは、調べたのか?」とたずねた。教頭は、「調べる材料がない。証拠がない。調査には限界がある」と言って調査を躊躇した。別の日に自宅へ「調査委にすべて任せる」と言いにきた、生徒指導の担当教師は、「いじめられる側にも原因があったんじゃないですか?」と述べる。学校は、いじめの被害を受けた子どもやその保護者の味方ではないのか……。
4月28日になると、校長と教頭、生徒指導を担当する教師が自宅をたずねてきた。一緒に来た同級生ふたりは、保護者をともなっていた。同級生は、菜絵がクラスで仲間はずれにされていたことを証言し、「こんなんいじめや。死にたい」と菜絵が言っていたことを教えてくれた。
様子がおかしい生徒を放置する教師
担任が自宅をたずねたのは、校長らよりも前のことだった。学校での菜絵の様子を話してくれた。加害者3人を名指しし、クラス内で仲間外しがあったことを証言した。話を聞いた亜弥は、先生に抗議した。様子がおかしい娘を、なぜ放っておいたのか、と。すると以降、担任は来なくなった。
部活の顧問も、菜絵へのいじめや暴力の内容を亜弥に伝えていた。部活では、いつもひとりだったこと。口数が少なくなっていったこと。「本当は、亡くなる日の夕方、お母さんに電話をして、相談しようと思っていた」と顧問は話した。顧問は、週に数回、自宅に来てくれた。遺族の話を聞き、自身の思いも話し、学校に対する憤りを共有してくれた。残念なことに、顧問は次の年に別の学校へ異動になってしまった。
5月14日には、再度、アンケートの実施を要望した。当初、保護者の許可を得てから聞き取り調査をおこなおうと校長は考えていた。しかし、橿原市教育委員会(市教委)との話し合いの結果、遺族に相談しないままアンケート調査をすることになった。アンケートが実施されたのは5月17日。菜絵の死から7週間が経っていた。アンケートは、ふたつの問題をはらんでいた。ひとつめは記名か無記名か。結局、無記名になった。