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アンケート開示に2カ月、公表まで3カ月

 もうひとつは、アンケートの開示に関してで、ようは遺族に原本を見せるかどうかが問題となった。実施前、市教委は「原本を見せる」としていたが、実施後になってから「集約したものを見せる」と変更された。

 アンケートの結果が開示されるまでも時間がかかった。開示されたのは7月22日となった。集約をしたものを亜弥がマスコミに公表できるようになったのは、回収してから3ヶ月後の8月16日であった。

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 2年生と3年生を対象にした442人に実施されたアンケートには、様々な目撃情報が書かれていた。たとえば、以下のような内容だ。

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(仲がよい)3人から無視されたり、避けられたりしていた。

グループから2回も仲間外れにされていた。

(部活の)先輩から膝でお腹をけられていた。

 アンケートのなかには、亡くなる数日前、テニスコートの砂で菜絵がお墓を作っていたという情報があり、そのとき菜絵が語った「私が死んだらここに入れて」という言葉も書かれていた。ラケットで叩かれたり押されたりと、部活で先輩に暴力を振るわれていたというという証言もあった。

 アンケートに書かれていることが、すべて本当かどうかはわからない。調査委員会(調査委)の検証が必要である。にもかかわらず、6月7日の保護者会で校長は、「いじめという話があがっていない」と説明している。同日の記者会見でも、教育長が「いじめと自殺の因果関係は相当低い」と説明した。アンケートの内容を知っていながら、このような発言をすることは、悪質だと思わざるをえない。

揺れる調査委

 こうしたなかで、菜絵の自殺といじめに関する調査委が市教委事務局の下で設置される。菜絵が亡くなってから、すでに3カ月が経過していた。ただし、設置までの経緯は混迷していた。 

 6月24日、遺族側は市長と学校、市教委に対して「申入書」を提出した。内容は、「市長部局の下で調査委を設置すること」、「調査委の半数は遺族推薦によって選任すること」「調査委に関する条例や規則をつくること」などだった。

 そして、6月28日にいじめ防止対策推進法が成立したことにより、いじめ自殺に世間の注目が集まるようになる。学校や教育委員会のいじめ対応が以前より問われるようになった。

 にもかかわらず、7月3日、遺族側の申し入れはすべて拒否された。7月9日、遺族側は「抗議・申入書」を送付した。その翌日、調査委の初会合が実施されることになる。ふたを開けてみると、調査員のなかに市側の顧問弁護士が含まれていることが明らかになった。翌日、遺族側は抗議書を送る。