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2020/08/09

genre : ニュース, 社会

6000人以上いた山健組は2000人台に

 この人事が行われた翌月、2005年5月には司が若頭に就任。7月に渡辺が引退を表明し、8月には司が6代目組長の座を射止めることになる。

 6代目体制発足後も手を緩めない。山健組からの引き抜きのような人事はその後も続いた。

 2005年11月には山健組から大同会会長の森尾卯太男の直参昇格も発表された。今年5月に岡山市内の市街地で、神戸山口組系池田組の若頭を白昼堂々銃撃したのは、この大同会の幹部だ。

関係者に流出した岡山の銃撃事件の現場動画より

 5代目組長の渡辺芳則が創設し、山健組の歴代組長を輩出している同組の中核組織「健竜会」についても直参への引き上げの打診があったというが、この人事は実行されるまでには至らなかった。

 こうした一連の人事で、6000人以上とされた山健組の組員は、2000人台にまで減少したとされている。

神戸の本部に“参勤交代”

 6代目体制に入り、山健組の弱体化などの政策を進めた弘道会出身の司と高山だったが、半ば強引に組織改編を進めたのは理由があった。

 前編でも紹介したが、司は1998年3月に銃刀法違反事件で逮捕され、まだ刑事裁判が継続中だったのだ。当時は保釈されていたが、最高裁が司側の上告を棄却する可能性が高かった。実際に2005年11月、最高裁は上告を棄却し、司は同年12月に出頭し収監され、その後、府中刑務所で服役することとなった。

 司が社会不在となって以降、山口組の運営は若頭の高山が中心となる。若頭や若頭補佐ら執行部による運営というよりは、「高山独裁」の色合いが強かった。組長が不在となって、さらなる引き締めが続く。

 高山は神戸市内の山口組本家に毎日のように詰めるのが日課となった。そうなると、他の直参組長も、高山に倣うように神戸に詰めることが多くなり、遠隔地に拠点がある直参組長らは滞在用のマンションを用意しなければならないケースもあって、直参組長らの費用負担は一気に増大した。

 さらに高山は2006年ごろからは、直参組長らを相手に商売を始めるようになる。ペットボトルのミネラルウオーターやコメなどの食料品のほか、ティシュペーパーや石鹸、洗剤などの日用雑貨品を押し売りのように販売した。