コロナがなければ、今頃は「長雨と猛暑の2020東京五輪」が閉幕した後、感動と興奮の余韻の中で、五輪後の社会や経済、政治の行方が話題に――という展開だったに違いない。
だが、1年延期と決まった。その後、コロナ危機は収まりかけたかに見えたが、再び感染が拡大している。延期後の五輪開催は視界ゼロとなり、中止論や再延期論が飛び交う。
返上となった戦前の1940年大会、第1回開催の64年大会、それに今回の3つの東京五輪の招致と開催の舞台裏や時代的背景などを描いた『東京は燃えたか オリンピック1940―1964―2020』という著書がある私は、今年3月の延期決定、来夏開催の有無などについて知りたいと思い、7月7日に大会組織委員会の武藤敏郎事務総長をインタビューした。
キーワードは「簡素化」
まず中止や再延期を決める権限は誰の手にあるのか。武藤氏は延期決定が安倍晋三首相の提案で実現したことを前提に、「最終的な権限はIOC(国際オリンピック委員会)にありますが、実際には開催都市の東京、延期決定の事情があるので安倍首相、組織委。みんなで相談することになるのでは」と説明した。結論を出す期限はいつか。「今年10月とか来年3月といわれていますが、IOCとの意見交換で、期限を設けるのは適切でないということで一致しています」と明かした。
夏季五輪は日本の経済や社会が次のステップに挑む際の「次代を生み出す装置」という役割を担い、その機能を果たしてきた。1回目の1964年大会は「戦後、復興を遂げた日本の姿を世界に」が謳い文句で、「黄金の60年代」と呼ばれた高度経済成長の舞台装置となった。2回目の2020年大会は「11年3月の東日本大震災からの復興」が招致の大きな標語だった。併せて、バブル後の「失われた20年」と呼ばれた長い停滞と低迷の時代を乗り越えて、新しい「共生社会」を生み出す装置の役割が期待された。
ところが、突然のコロナ襲来で、五輪の位置付けも一変した。武藤氏はコロナ未終息の「ウイズコロナ」での開催を視野に、「来年の東京大会が、コロナウイルスが終息しない状況の中で開催される新しいオリンピックのモデルとなれば、それがレガシーとして、歴史の1ページに記されることに」と語る。そのキーワードは「簡素化」だ。安倍首相も同じ考えではないかと思われる。