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 その内容は主に2通りです。一つは、「障害者が皆お前のように恵まれているわけじゃないんだ。お前はたまたま周囲に恵まれていただけなんだ」というご批判。

 もう一つは、それこそダブルさん(聞き手)もそうかもしれないですけど、「『乙武さんだってあんなに頑張っているんだから、あなただってもっと頑張りなさい』というふうに言われて、お前のせいでつらい思いをしている」っていう。

――その批判に共感してしまう自分もいます。

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乙武 そういったご批判はショックだった一方、非常に大きな気付きも得ました。小学校から普通教育を受け、障害のある知り合いがほとんどいない中で育った私は、自分以外の障害者がどういう課題を抱え、どんな暮らしをしているのかに思いを馳せたこともありませんでした。そういったところに目が向くきっかけになりましたね。

 

ずっと言い続けてきた、「障害者全体は背負えないよ」

――大学卒業後、スポーツライターになられ、障害について語ることを意識的に避けておられた時期もあったそうですね。

乙武 私は到底障害者全体を代表することなどできません。「とても障害者全体は背負えないよ」とずっと言い続けてきました。なのに、俺が何か発言する度にそれが障害者代表としての意見、障害者の総意として捉えられてしまうなら、もう口を閉ざすしかないじゃないかと。

「じゃあ障害を語らずに、自分が本当にやりたいことって何だろう」と考えた時、それがスポーツの仕事でした。スポーツライターをしていると、あまりそういうことを聞かれる場面もなかったのもあるかもしれません。

――7年間、スポーツライターとして実績を積まれましたね。

乙武 4年目ぐらいから『乙武洋匡』『五体不満足』というネームバリューがない部分でもしっかりと評価やお仕事をいただけるようになったことで、「次のステージに進んでいいのかな」という気持ちになってきましたね。

――具体的に、記憶に残っている仕事はありますか。

乙武 『Number』という雑誌で連載を持たせていただいたのですが、あるとき連載用に書いた記事を高く評価していただいて、特集記事に格上げになったんです。その年に新人王と首位打者をダブル受賞する、当時横浜ベイスターズに所属していた金城龍彦選手の記事だったんですけれども。

 数カ月後に父が亡くなるんですけれども、父の棺にその号の『Number』を入れたくらい、印象深かったし、大きな自信にもなった仕事でした。

 

――その後、教員になった頃から、社会構造や生育構造などの「環境」の話をされるようになりますね。

乙武 ええ。子どもの育ちに大人が与える影響や果たすべき責任の大きさ、そして「自分が両親や学校の先生方や近所の方々に支えられて、本当に恵まれていたんだな」ということを改めて痛感したんです。

 それはまさに『五体不満足』への批判の中に含まれていたことでもありました。