「発達障害への関心」が封印を解いた
――この頃から、障害についても再び言及されるようになった印象です。どんなきっかけがあったのでしょうか。
乙武 障害というところに戻ってきたというよりは、完全に教育というところに集中していたんです。そうすると、障害と切っても切れない関係にある特別支援教育にも関わりができます。さらに、当時はちょうど発達障害の子どもたちへの対応が教育現場の課題として顕在化してきた時期でもありました。
なので、初めは私のような身体障害というよりは、むしろ「発達障害の子どもたちにどう指導していけばいいのか」に大きな関心が向いていました。
そこから「障害」というものに、また「戻っていく」わけではないんですが、「自分の中での封印を解いた」というところかな、と。
――マスメディア以外では、2010年に Twitterアカウントを開設し、活発に発言してこられましたね。
乙武 自分が編集責任を持つメディアを持てたのは、精神的にすごい大きかったです。だいぶストレスが軽減されましたね。
自分は性格が悪いと思っているので、聖人君子のように扱われることに対する違和感や息苦しさはずっと抱えていました。そういうメッキはいつか剥げるものだと思っていたので、取材を受けたりメディアに出る時にはあえて砕けた部分を出すようにしていたんです。
でも、やっぱりできあがった雑誌の記事とか番組を見ると、そういうところは全部カットされている。それが何年も続いたことで、2010年にTwitterと出会うまでは結構諦めていましたね。
――しかし、Twitterで直接悪意をぶつけられて、嫌な気持ちになることもあったのでは。
乙武 いや、Twitterは2013年頃までは割と穏やかだったんですよ。なので、ただただ楽しかったですね。今では修羅の国みたいになってますけど(笑)。
レストラン入店拒否騒動は、一つの潮目だったのかもしれない
――2013年にイタリアンレストランで受けた入店拒否を巡って大きな波紋を呼びました。
乙武 「健常者はいちいちルート確認だとかをせずにフラッと飲食店に入れるのに、障害がある人間だけが事細かな下調べや事前通告がないと食事が取れない社会って、フェアと言えるんでしたっけ?」という問題提起をしたことは、今でも正しかったと思っています。
ただ、発信の仕方が非常に感情的で稚拙だったために「店名を記したことが良かったのか否か」という、意図しない文脈で議論が盛り上がり、結果的にお店にもご迷惑が掛かってしまった。その点は反省しています。
――それまで表立っては殆どバッシングを受けて来なかった乙武さんですが、これ以降急激にアンチが目立つようになっていったと思います。
乙武 ああ、たしかにそこは一つの潮目だったのかもしれませんね。やっぱりそれまで私は、健常者のために作られた社会の中でも、明るく元気に適応して生きていたから暖かく迎え入れられていたけど、こと健常者仕様の社会に対して問題を提起するとなると「めんどくさい存在だ」と思われたのかな、と。
(【続き】「活動自粛で『乙武しかいない』から『乙武すらいない』へ…『存在自体がつらい』と言われ続けた乙武氏が語る『誤算』」へ)
写真=杉山秀樹/文藝春秋