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――そうした批判もある一方で、乙武さんには揺るがぬ功績もあります。障害者がやってこなかった数々の分野をあえて指向し、パイオニアとして道を切り開いてこられました。

 今回の取材にあたって事前調査をする中で、いかに自分が障害者として乙武さんから多くのものを受け取ってきたか、ということに気付かされました。後進の障害者のために道を示すことができたという実感や手応えはありますか。

乙武 あんまり自分ではないんですよ。

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 でも時折、ダブルさん(聞き手)みたいに、面と向かってそう言ってくださる方がいるんです。そういう時は……本当に、うれしいですね。

 

 さっきお話ししたように、「お前を見るとしんどいから出るな」「メディアから消えてくれ」という声も受けつつ、出ることを選択してきて、当然出たら出たでいろんな矢が、飛んできて。

 なんでこんなにつらい道を選んでいるのかな、と思うこともあるんですが、実際当事者であるダブルさんに、そういうことを面と向かって言っていただけたりすると……すいません。

「ああ、やってきてよかったな」とか「やめないでよかったな」と、本当に心から思いますね。

◆ ◆ ◆

乙武氏へのインタビューを終えて

 一人の人間が背負うには大きすぎる期待と毀誉褒貶に晒されながらも、社会との対話を模索し続けてきた乙武氏。

「自分が果たすべき役割というのを、ご批判覚悟でやっていく。それが自分の中の答えでしたね」

 その境地に至るまでには、人間くさい葛藤の歳月があった。

 

 彼は「聖人君子」のように扱われることを嫌う。確かに、筆者に即座に新しいあだ名を付けたり編集者をファーストネームで呼ぶなど気さくな一面もあり、堅苦しい印象は無かった。

 かと言って、一時期喧伝されたような「ゲス野郎」かというと、それはもっと違うし、むしろ真逆に思える。

 お土産を渡した時、15歳も下で何の地位もない筆者に対し「恐縮です」と言い、取材中も決して丁寧な言葉遣いを崩さない。一つ一つの質問にその都度真摯に向き合い、ごまかしのない言葉を正確に紡ごうとする。終盤、涙で声を詰まらせる場面もあった。こうした振る舞いは、狙ってできるものではない。

 もっとも、筆者が見たのもまた、彼のごく一面に過ぎないだろう。しかしその姿は確かにこの目に焼き付いている。

 22年間、言われ続けた。「乙武さんみたいになれ」。何も響かなかった。呪いの言葉にすら思えた。

 1時間、乙武さんとお会いした。「この人みたいになりたい」。心からそう思った。

(【初回から読む】「RAD野田氏ツイートに『これぞ優生思想』…乙武洋匡氏が語る『障害者代表』への葛藤と“封印を解いた”仕事」

写真=杉山秀樹/文藝春秋

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