1ページ目から読む
4/4ページ目

お漏らしをしたら「自爆!」

 印象的だったのは、私と同じような介護体験をした人がこの世界には思いがけないほど多かったことだ。

 介護職に就いたのは「まっとうな介護ができなかった母親への贖罪だ」と語る人。「20歳から20年もの母親への介護体験を経てやっと踏み出せた仕事が、介護職だった」と語る人。患者さんがお漏らしをしたら「残念なお知らせをします。○○さん自爆!」と叫ぶのを聞いて悔しく、自分の手で父親の在宅介護を決心し、仕事を辞めたという人。

 病院勤務を辞めて、定員5人の家で「看取り」を始めた看護師さんが言った。

ADVERTISEMENT

「どこで何されたんだか、体が拘縮しきっていて人が触ると暴れちゃうようになっている人をね、まず人間に戻すところから始めないとならないのよ」と。

「入所したら、みんな『オムツ』になっちゃう……、そんな世界を変えるために介護職になった」と語る人もいた。その人は大学生のときに特養ホームでアルバイトし、その実態に腹をたて、介護職員になり、若くして特養ホームの副施設長として働いていた。

 このように新しい介護のありかたを求める介護職の人たちが、実はたくさんいるのだ。私たちは確信した。その実践の新しい波がいよいよ本格化する時代へと今、向かっているのだ、と。

那須町の廃校で開かれた総会

 那須のサ高住には2019年、そんな介護関係の人たちが「合宿」と称して遊びにやってきた。その中心にいたのが、キャンピングカーで全国を旅しながら「介護の重い人もゆっくり一人で入れるお風呂」を販売している「介護界の寅さん」ことリハビリデザイン研究所の山田穣氏だった。

 以来、山田氏は毎月のように那須にやってくる。実は、彼はもともとオムツの会社を経営していた。彼を改心させて「お風呂屋さん」にしちゃったのが、「オムツ外し」提唱者の三好氏だ。取材を通して介護の世界に希望をもたらしてくれた介護職の人たちの多くも「オムツ外し学会」の仲間だった。介護問題に行き当たれば、「オムツ外し学会」に行き当たる、のである。それは介護の現場で、オムツは「介護する側の都合優先の介護」の象徴であり、三好氏の「オムツ外しは介護の原点」であると痛感してきたからだ。

 私も同じだ。

 この国で一番人数の多い団塊世代が後期高齢者へと突入し、未曾有の大介護時代の幕が開ける日も近い。私はその世代の一人として、自分の住むサ高住に老々介護のシステムを作り、介護の自給自足生活を目指したいな、と思っている。両親の介護で体験した「絶望」、その後の取材の日々で知った「希望」を糧に、介護される当事者が望む介護のあり方を自ら求めることで、新たな介護モデルの実践につなげるのだ。

 そんなわけで、「70代にもなって」ではなく「70代になったから」こそ、介護ヘルパー学校へ通い始めた私なのである。

週刊文春WOMAN vol.7 (2020秋号)

 

文藝春秋

2020年9月24日 発売