在宅医療をテーマにした本書執筆のきっかけは、著者の両親にあったという。
六十四歳で、最終的には頭が明晰なまま運動機能が失われていく難病を発症した母。胃に穴を開ける胃ろうをしてからは、三百六十五日二十四時間、これ以上ない心配りで寝たきりの妻を介護した父。結びつきの強い夫婦とはいえ、そこまでできるものなのか。他の家族はどんなふうに病人を看ているのだろう。そんな疑問を抱えて飛び込んだのが、京都の在宅終末医療に携わる診療所だった。
そこには「病院」という枠から抜け出した個性的な医師がいて、仕事を超えて患者に寄り添う看護師や介護スタッフたちの熱量が溢れていた。後に異なる形で再会する、訪問看護師の森山文則さん(以下敬称略)との出会いもあった。
診療所は当時、患者の「最後の希望」を叶えるボランティアをしていた。例えば、三十七歳の食道がんの女性が、幼い娘との約束を果たすべく、命の危機に瀕する中で決行された潮干狩りへの同行エピソードが描かれる。
人件費など度外視した手厚いケアにまず驚かされる。そしてなにより、「患者」という立場に閉じ込められず、強い意志をもち自由に生き方を選ぶ人の姿に魅了される。半身麻痺の父を長年自宅で介護した母のしんどさを見てきた私でさえ、在宅の可能性に惹かれたほどだ。
しかし著者は手放しで在宅を賞賛することはできない。どうしても難しさが頭をよぎり、取材は宙ぶらりんになり、放っておかれた。
五年後のある日、四十八歳になった訪問看護師の森山が、もはや治療の難しいがんの診断を受けたという連絡が突然入る。その、いわば死にゆく看護師の姿を縦糸に、時を遡り、彼と共に追った患者たちの姿、そして両親の在宅介護の風景を横糸に紡がれたのが本書である。
二百名の患者の終末期を支えた、いわば看取りのエキスパートである森山が自らの死をどう受け入れ、命を閉じていくのか。語られる言葉を待ち、著者は終末期を彼と共に過ごす。
だが予想に反して森山は何も語らない。それどころか迫る死を受け入れることなく、治癒を信じて、スピリチュアルな世界へと傾倒していく。それは訪問看護師として見せてきた姿の対極にあるように感じられ、著者は困惑する。死を受け入れることは、いわば看取りのプロフェッショナルにも難しいのだろうか、と。
その疑問に、彼は自らの「命の閉じ方」をもって見事に答えてくれる。著者が受け取った、その自由で誠実な答えに私の心も激しく震えた。
七年という時間のなか、著者が丁寧に織り上げる無数の糸は、「死」ではなく、力強い「生」の旋律を奏でる。その調べは今も私のなかで、どこか清々しく響いている。
ささりょうこ/1968年、神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。2012年『エンジェルフライト』で開高健ノンフィクション賞。著書に、3.11後の製紙工場を描いた『紙つなげ!』など。
あおやまゆみこ/1971年、兵庫県生まれ。フリーライター。著書に『ほんのちょっと当事者』『人生最後のご馳走』。