『最期の言葉の村へ 消滅危機言語タヤップを話す人々との30年』(ドン・クリック 著/上京恵 訳)原書房

「おまえのおふくろは雷が光ったときクソの山と一緒におまえを産んだぞ!」。悪態一つとっても、その言語には豊かな表現を生み出す言葉があった。それが今や、〈虹〉という単語を思い出せる者は一人もいない。

 世界に六千ほどある言語のうち、九〇%が百年以内に消滅するという。虹という言葉を失ってしまったタヤップ語もその一つだ。

 言語人類学者である著者の調査が始まる。目指すはパプアニューギニアの奥地の村、ガプン。タヤップ語はそこだけで話されていた。

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 著者の奮闘ぶりは凄まじい。椰子の収穫を手伝い、芋虫や昆虫の幼虫も、出されれば必ず食べる。命の危険を感じてもなお、三十年間で七回、のべ三年に渡りガプンに通い続ける。

 異文化との邂逅を記す筆は滑らかだ。未知の人間と向き合うことの困難さ、多くの誤解、少しの滑稽さ、不意にやって来る危険から人間同士の尊い交流に至るまで、ドキドキものの体験談が続く。私もつい、半ナマの猿の腕を気合で食べた日々を思い出してしまった。

 だが、調査に着手すると、著者は戸惑う。タヤップ語はなぜ消滅していくのか。その理由を知れば知るほど、〈文明〉側の影がちらつき「不快」となっていく。

 タヤップ語は新しい言語に取って代わられようとしていた。英語を土台としたクレオール言語の一つで、植民地時代にプランテーションに駆り出された人々がナイフや工業製品とともに集落に持ち帰ったものだった。現代文明がもたらした、「便利で高級なもの」のひとつとして。

 言葉が消えゆく中で、著者は覚悟を決める。〈なぜ〉消えるのかではなく、〈どのように〉失われていくのか。聞き回り、調べ上げていく。論評をするためでも、言語を消滅させてしまった犯人を探すためでもない。記録に徹するのだ。

 その過程で著者は、自分が〈外側〉の人間であることをはっきりと自覚したのではないか。いくらモノを与えても、自分が味方であることを力説しても、彼らとの間に壁がなくなることはない。ジャーナリストであれ研究者であれ、私たちは所詮、外側の人間なのだ。

 だが、本書の終盤でそのことが奇跡を生む。

 著者は若者から手紙を託される。死んだ父親へ渡してほしいというのだ。村でたった一人の白人である著者は死者の世界から来た者、つまり、死んだ父親と同じ地平にいると思われていた。

 手紙は五通あった。

 読後、著者はたじろぐ。父親への愛に溢れる手紙だったからではない。悲しい言葉で埋め尽くされていたからでもない。

 誰が何を奪ったのか。直接的には何ひとつ記されていないにも拘わらず、著者はそれを、“自分たち”に向けられた言葉だと思ったのだ。

 外側にいることを自覚しない者にはけっして届かない、“喪わされる”側からの静かな叫び。

 愕然とし、言葉を失った。

Don Kulick/1960年、アメリカ生まれ。スウェーデン・ウプサラ大学教授。ルンド大学で学び、ストックホルム大学で人類学博士号取得。著書に“Loneliness and its opposite”、“The language and sexuality reader”などがある。
 

こくぶんひろむ/1965年、宮城県生まれ。NHKディレクター。主な著書に『ヤノマミ』(大宅賞受賞)、『ノモレ』など。

最期の言葉の村へ:消滅危機言語タヤップを話す人々との30年

ドン・クリック ,上京 恵

原書房

2020年1月21日 発売