「《人間》が怪獣をつくりだした」という最初の文からはまるで想像のつかない読後感が残った。本作がソ連SF中興期の一九六五年に発表されたことや、日本語訳は再刊であることなど、そうした情報は後回しにしてまず頁を開いていただきたい。今世紀の小説として読めるはずだ。
物語の舞台はヨーロッパのとある国。主人公の《人間》は四十歳の設計家で、怪獣をつくるのに二十年を捧げてきた。金属でできた怪獣は《人間》の操縦によって地下を潜行し、痛みを感じ、生肉を糧とし、言葉を話す(潜行試験中のトラブルで、《人間》は左腕を糧として怪獣に与えてもいる)。《人間》の目的は人類の可能性を広げることだが、怪獣の軍事転用の可能性に国の指導者が目をつける。市内ではストライキが鎮圧され独裁が始まる……。
ソ連で発表された際、本作はソ連SFの祖ベリャーエフ以来の伝統と接続されている。ベリャーエフの代表作であり映画化もされた『両棲人間』では水中で生活できる人間が登場していて、たしかに本作とは「人類の可能性の追求」という点で重なる。しかし、ジャンルにこだわらず、また資本主義社会への紋切り型の批判を横に置けば、真正面に現れてくるのは、知識人の矜持と責任、孤高という永遠のテーマである。これはむしろ、ソ連では長い間出版されなかったブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などを彷彿させる。クライマックスは国の指導者である総統を科学芸術アカデミーの新会員として選出する集会の場面だ。国を代表する学者や俳優、作家などが「長い物には巻かれろ」とばかりに「賛成」を順に唱えて茶番が進み、《人間》の番が迫ってくる。「だれかがやらねばならないはずだ」。数頁にわたる心理描写がじつに素晴らしい。仕掛けも周到で、《人間》の葛藤の強烈な印象を残すべく、作品内には二つのイメージが対置されている。一つは、総統が指でもてあそぶ黒い小さな像――「拷問にかけられてでもいるかのようにぎゅっと身を折りまげ、まるで痛みにちぢみあがっている」。もう一つはセルバンテス――票決の前に《作家》が《人間》のまっすぐな立ち姿をそう称するのだが、『ドン・キホーテ』の作者もまた左腕を失っていた。そして、《人間》は十三階にある研究室からときおり、傘をさして下を歩く群衆をながめている。彼らは「まるでおじぎをしているみたいに」背中を丸くかがめている。
語り手自身が本作を「おとぎばなし」と呼ぶが、集会の後の展開は、どこまでをリアルなものとして信じていいのか分からない。《人間》に救いがあるのか、また彼にとって何が救いなのか、その判断は読者にゆだねられている。同時に読者は自らに問いかけざるを得なくなる――自分の背はまっすぐに伸びているだろうか、と。
Наталья Соколова/1916年、オデッサ生まれ。モスクワのゴーリキー文学大学を卒業後、文芸評論家として出発し、50年代末から小説の執筆を開始。本書は『旅に出る時ほほえみを』(78年、サンリオSF文庫)の再刊。
さかにわあつし/早稲田大学教授。露文学者。訳書に『雪が降るまえに』(タルコフスキー)、『大尉の娘』(プーシキン)など。