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虫になることで見えてくる生命のサバイブ法とは?──川村元気×養老孟司『理系。』対談

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養老さんの思う「個性」とは何ですか?

川村 オリジナリティという言葉の危うさは、僕はそれこそストーリーテリングやエンタテインメントの観点で、ずっと感じてきました。例えば落語にしても歌舞伎にしても、師匠の真似をするところから始まっていますよね。

養老 その上でどうしても真似できない部分が、弟子のオリジナリティなんですよ。

川村 小津安二郎監督の『東京物語』を『東京家族』という映画としてリメイクした山田洋次監督が「カット割りから芝居までそっくりに撮っても、どうしても違う映画になってしまった」と言っていました。そういう方法が個性の見つけ方としては正しくて、ゼロベースでオリジナリティを自分の中に見つけるというやり方は怪しいと思います。

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養老 個性がないとか状況に流されるとかがネガティブだとされていますけど、翻るとこれ以上の自由はないと思いますよ。だって、西洋のルールで戦ったところで水に合わないし、流しておけばいいんです。オリンピックとかが顕著じゃないですか。日本人が勝ち始めた競技は、あっちが必ずルールを変えてくるでしょ?

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川村 ただ、学問とか教育は主体性を持って明文化したり、ルールを設けることで成立していることがほとんどで、解剖学をされていたとき、養老さんの中で自己矛盾みたいなことは起きたりはしなかったですか?

養老 しょっちゅう起こっていたでしょうね。それが仕事みたいなものですし、近代の理系研究をやろうとしても、いろいろな問題が起こってくるわけです。研究費をどうするか……から始まってね。それこそ小保方さんなんていうのは、そういう問題がない時代の人ですよ。お金は十分あるから何をするかという話になって、となると業績を上げなきゃいけなくて、ああいうふうになる。まぁ、つんのめるというかね。僕らが現役のときはお金がなかったから、あんなことは起こりようがなかった。