世界を駆けてきた漫画家で文筆家のヤマザキマリ氏。1年の半分を東京で、残りの半分を夫の実家であるイタリアで過ごしているが、コロナ禍で約10カ月東京の自宅に留まることを余儀なくされているそう。そのイタリア人家族からするとPCR検査の数をなかなか増やさない日本に対して“疑念”だらけのようで――。
※本稿は、『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋し、紹介します。
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日本では当たり前でも、イタリアでは「そんなわけはないだろう」
イタリアの親子は別々に暮らしていても、ほぼ毎日と言っていいほど電話で話して声を聞き合い、週に1回は親族で集まってご飯を食べています。そんな家族の習慣が強固なイタリア人からすれば、日本で横行している「オレオレ詐欺」のような手口は信じられないようです。彼らにとっては、子どもの声を間違えるわけはなく、子どもを騙った他人と話の辻褄が合うわけもない。詐欺がつけ込む隙がないのです。
そんなわけで、私もイタリアの家族たちとは離れていても頻繁に話をしているのですが、パンデミックのような共有する問題に向き合ったときには、異なる文化背景をもった者同士として、当然のように軋轢が発生します。
10年ほど前、拙著『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)の著作権についての私の発言が物議、というか炎上を起こしたことがありました。作品の映画化の際に著作権者が蚊帳の外のままで契約が進む、という日本の商慣行に対し、疑問を呈したからです。
世間から「モノ言う漫画家」としてバッシングを受けると同時に、日本の漫画業界とはこんなものだと言えば「それはおかしい。原作者としてもっとこの件は突き詰めるべきだ。とことん反論すべきだ」と煽るイタリアの家族の反応との板挟みになって、正直メンタルがボロボロになってしまいました。彼らの著作権者や作家に対する認識と日本の状況が、あまりに違っていたのです。
今回のパンデミックに際しても、日本では当たり前に思っているようなことでもイタリアの家族たちに言うと、「そんなわけはないだろう、おかしい」という反応が返ってくるわけなので、やっぱり苦労することになりました。
「オリンピックを開催するために数字が抑制されているのでは」
イタリアでは、最初の感染者が確認され、すぐに死者が出たあと、大々的にPCR検査が始まりました。疑わしい症状のある人だけでなく、不安な人、受けたい人がすべて受けられる規模での実施です。一斉検査を行うことで母数を増やしていかなければ、陽性率やどんな性格をもったウイルスなのかがわからない、というのが彼らの見解でした。